「尊星王菩薩」の作成進捗。
いよいよ完成に近づきましたのでくどい様ですが記事にします(最後に写真掲載しますか)。
今回は、どうしても触れておかなければならない「重要な話」になると思います。
それは「顔」の話です。仏像の「顔」って重要ですよね?
もちろん、重要なのは「顔」だけに限らずなんですが、今日のところは「顔」に限った話をします。
前に荼枳尼天を作成した際に、「荼枳尼天の顔」について沢山の絵画、お像を参考にしました。
その際に、いまさらとても重要なことに気付かされた。
それは……
「天部の顔は菩薩の顔とは違う」
ということです。
よく、観音さまの顔が、お色気たっぷりの女性の顔で、どう見ても全く菩薩ではないというものを見かけることがある。
参考にした荼枳尼天のお姿で思ってのはその逆。
それはつまり、「荼枳尼天(天部)の顔が菩薩形になっている」というパターンがあるということ。
たとえば、とある荼枳尼天像(絵)は額に白毫があり、お顔だけ取り出せばまるで観音さまのような慈悲のお顔。
確かにそれはそれで美しい「絵画」ではあるのだが、仏画としては正しくないな、と生意気にも思ってしまう。
さて、話題を尊星王に戻します。
尊星王は尊星王「菩薩」と呼びますが、事相の上では「天部」に属しているからお像を作成する際のお姿(特にお顔)は迷うところ。
儀軌では「菩薩形」乃至(ないし)「天女形」と、どこかの記事で読んだ記憶がある(どの記事だったか失念中)。
以下の話は、以前の記事でも話題にしたので、繰り返しになるが改めて尊星王の代表的なお像を3つ紹介してみる。
「菩薩形乃至天女形」をそれぞれ分解して確認する。
「菩薩形」の代表例が以下の画像だと思われます。恐らく尊星王ではもっとも知られている画という気がします。
これの「元ネタ」は三井寺所蔵の絵画「尊星王象(鎌倉時代)」。
これは三井寺の姿に近いのですが、持物が三叉戟と錫杖ではなく筆と帳面になっています。
そして今回の話題の「お顔」ですが、菩薩形ではなくむしろ忿怒形に近い。これはちょっと天女には見えない。でも少なくとも天部であることは分かる画だ。
三つ目が三室戸寺の仏画。これは高野山の画と近しい姿ですが、よりダイナミックに疾走する感じですね。そしてこの画も高野山霊宝館同様に表情はやや忿怒です。
まとめると有名な尊星王の「顔」というのは「菩薩形」か「やや忿怒形」のどちらかで描かれている(他の妙見菩薩のお像は今回、比較していません)。つまり儀軌あったような純粋な「天女形」が見当たらない。
では、今回私が作成したお像の話はどうしたか?
結論から言うとお姿としては高野山霊宝館所蔵の画に近いものにしました。これは前にも記事にした通り、筆と帳面を持っている容姿が、当道場で縁の深い「焔摩天」と近しいのが、その理由。「星による運命を拝む」場合に、私が一番イメージしやすいお姿ということで選びました。
そして肝心の「お顔は?」というと……
紹介したパターンとは違ったものにしました。
すなわち上記の菩薩形でも、やや忿怒の顔でもないということ。
最終的には以下の引用文が自分にとって一番腑に落ちる説明だったため、「このイメージ」を重視しました。
以下の文は師僧の著書からの抜粋です。
『尊星王の三井寺の伝承では「吉祥天女」ともされる。そしてこの吉祥天女は「天の大淫女」であるというのだ。鎮護国家の為の祈りに「大淫女」が拝まれるというのは驚きだが、この大淫女とは「大変に淫らな女」という意味なのではなくて、多分に艶めかしくてセクシーな女性という程度のニュアンスなのだと思う。
つまり、決して淫らな行為にふける女ということではないが、同時に、尊星王と同体の「吉祥天女」は、異性とは縁のない聖女なんかではないということなのだ。もしも単なる聖女であるなら、人間どもの欲にまみれた現世利益の願いを、真に受けて聞いてくれそうにもないからだ。(「密教動物記 羽田守快 著(青山社)より引用)』
ということで、出来上がったお像の「顔」は菩薩形でもなく忿怒形でもない「美しい天女」の顔にしています。ただ菩薩形の特徴を入れるために白毫は入れました。
「美しい天女」という基準は私の個人的な感性に由るので「それは違うだろう」という意見もあろうかと思いますが、一応ここまで考えて作っているということはご理解頂きたいと思います。
持物に関して上述したように三叉戟と錫杖ではなく「筆(孔雀の翅のようなアクセサリーで代用)」と「帳面(巻物風)」にしています(後方の二臂が物つ日輪、月輪はまだです)。
この状態なら、十分壇に置けるので早速、修験星祭を修したいと思っています。
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