「激務だった!!」
先週くらいまで、SNSを覗いているとそうコメントする僧侶の方を多く見かけた。
言わずもがな、檀那寺ではお盆が最も忙しいということがヒシヒシと伝わってきた。
このような、コメントを見れば、あらためて現代の日本において「先祖供養」「追善供養」が、お寺、僧侶がする大きな役割の一つであると知らされる。
お盆は「盂蘭盆会」の省略形として「盆」であることはご存知の通り。『盂蘭盆経』『報恩奉盆経』などに説かれる目連尊者の餓鬼道に堕ちた亡母への供養の伝説に由来すると説明されるが……
驚いたことに歴史上のブッダは先祖供養には否定的だったという説明を聞くことがある。
上述のような日本のお盆の風景を垣間見れば、なんとも信じがたいが多くの図書で同様の話を見聞きする。
ブッダが先祖供養に否定的だった一つの説明として、初期仏教はバラモン教のアンチテーゼだったことが関係するという。
仏教は「出家」をすることでどこのカーストとも関わらない立ち位置をとるという作戦をとった。
「出家」と言えば世間とかかわりを持たない=煩わしいことから逃れ修行に集中するという意味が強調される。
しかし、それとは別の理由として民衆に関わるという行為が「そのカーストに関わる」ことを意味するから、「出家」という立場で民衆から距離を置かざるを得なかったという背景は知っておくべきかもしれない。
それが分かれば、民衆の葬儀、供養に関わらなかった当時の仏教教団の意図が見えてくる。
もちろん、これ以外のいろいろな学説があるとは思うが、個人的にはこの理由は腑に落ちる。
このような話を聞けば、仏教の様々な教えも「時代背景」がどう関係しているかを全く無視して妄信するのは危険だな、と思う。
そう考えれば、やはり現代感覚で疑問に思ったことは、踏み込んで「調べる」「考える」努力は必要だと思う。
ちなみに、先祖供養に関しては、ブッダ入滅後、民衆のニーズに応える形で、仏教教団は早い段階で(200年~300年以内)先祖供養を取り込んだとありますから、実は仏教の先祖供養の歴史は十分すぎるほど長い。
ブッダに忠実に、時代による変化……その狭間で適格な答えを出すのは極めて難しいと思う。
でも教師という立場なら、思考停止はせずに自分なりに見解は持っておく努力は怠ってはいけない……そう思うこの頃。
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