先日、会社の仕事で、ある病院で講習会を行ったときのこと。
その病院はキリスト教会の医療事業からスタートしている病院だったので、敷地内には教会があり、私が行った講習会もまさにその教会のホールだった。
受講者は看護師の方だったが、講習会が始まる前に「感謝の祈り」を捧げてからのスタートとなり、その文言の中には「講師の方にも感謝いたします」ともあった。
おそらくこの病院の職員の方々は、ことあるごとにこのような祈りを捧げているに違いない。
ここで話たいことの本質は「そこ」ではない。
この方たちにしたら「あたりまえ」のことかもしれない。しかし日常、祈りの習慣を持っている人たちを、目の当たりにすると私は純粋に「ああ、すばらいしな」と感動した。
もしかすると皆が皆敬虔なキリスト教徒ではないかもしれない。でも、最低限日常的に祈りをしているという「雰囲気」はどこかにじみ出るものがある。
ここの職員の方々は、挨拶の雰囲気、ちょっとした心遣い、いろいろな「その人」の背後に「信仰」というオーラを確かに感じることができるのだ
そんな「信仰」を大事にする人たちに前に、私は同じ「信仰」を持つものとして彼女さらに敬意をもって心の中で合掌し首を垂れた。
…… …… ……
★多羅菩薩の祈願はじめました
★ご相談はこちらから★
記事が参考になったら
クリック↓お願いします!