先の施餓鬼万霊供養の記事で、光明供のご本尊として『大日如来』の写真を記事に添付した。
「え?あれは大日如来だったの?」と思われた方もいると思います。
このお姿は確かに「大日如来」です。でも皆さんが知る大日如来のお姿とはずいぶん違いますよね。その理由はこのお像がチベット仏教のものだからです。
自身の道場を見渡すとチベット風のお像が多い。
ご本尊の准胝仏母、六字大明(四臂観音)等。
これらのお像は確かに「チベット風」の容姿はしているが、少し突っ込んだ話をすると「チベット後期密教の尊格」ではない(六字観音は後期密教だが、当院のお像は六字大明)。
だから我が道場の本尊や主要なご尊格になり得ている。
そしてこれらのお像が我が道場にとってどんな意味があったのか?を振り返ってみる。すると知らず知らず、私にとってはとても強い縁があった尊格であることが分かった。
だからこの機会に、このチベット風の四面大日如来を深堀してみる。
まず、このお姿の大日如来は「一切智大日」と呼ばれる。
チベットでは最も人気のある姿のようです。
ではこの『一切智大日』に少し迫ってみる。
以下特徴です。
①一切智大日とは「全ての知恵を備えた」という形容詞を冠した大日如来。
②日本の金剛界曼荼羅の典拠である初会金剛頂経(真実摂経)と同じ瑜伽タントラに属する『悪趣清浄曼荼羅』の主尊(つまり中期密教の大日)。
③容姿の特徴、四面については初会金剛頂経(真実摂経)の記述を忠実に再現したもの(下記補足説明参照)。印は胎蔵大日如来が示した定印。
④一切智大日が主尊となる『悪趣清浄曼荼羅』は金剛界曼荼羅と基本的に同じ三十七尊で構成される
⑤『悪趣清浄曼荼羅』で一切智大日の四方には、胎蔵系の四仏である宝鐘や開敷華王の名が見られる。
⑥金剛界大日と胎蔵界大日の融合的な姿がこの曼荼羅が成立する背景にあると思われる』
⑦「一切智大日」と「金剛界大日」は同一視されることが多い。
⑦『悪趣清浄曼荼羅』の悪趣とは地獄、餓鬼、畜生、修羅の四悪趣のこと。つまり死者がこられの悪趣に堕ちることなく善趣、すなわちよい生まれ変わりに再生できることを 『悪趣清浄』という。
※補足
「四面」の意味
『大日如来を四尊(もしくは四面)で表すことは金剛界曼荼羅を説く初会金剛頂経(真実摂経)の記述に忠実に従ったもの。曰く『(冒頭の)五相成身観の実践により一切義成就という名の菩薩が金剛界如来として成仏し、一切如来によって灌頂される。この時、金剛界如来は「一切如来の獅子座に一切の方向に顔を向けて坐した」
参考文献:『大日如来の世界 頼富本宏(春秋社)』
ちなみに詳しい方なら「四面」の大日如来が数はとても少ないが日本でも仏像が存在することをご存知だと思います。
上記の説明からポイントをいくつかピックアップしてみる
①この大日如来は「チベット風」の容姿ではあるが後期密教ではなく行タントラ(胎蔵界)瑜伽タントラ(金剛界)、つまり中期密教のお像であること。
※チベット後期密教の大日如来は主尊の地位から四仏の一尊に数られるだけになるが、その後期密教の大日ではないということ
③一切智大日が主尊となる『悪趣清浄曼荼羅』も金剛界と胎蔵界の両方の影響を受けていること
④『悪趣清浄』という名称から、葬儀儀礼と強く結びついている尊格であること(特にネパール、チベット)
四度加行で胎蔵界、金剛界の行をした私からして『一切智大日』の説明に違和感と呼べるものはない。思い切って言えば胎蔵界、金剛界が多く説明に登場する印象は日本で極まったとされる両界不二に近いとすら感じた。
少なくとも「行をする私」がこのお姿を見て両界のイメージを逸脱するものにはならない。チベットでも金剛界大日と同一視されているならなおさらだ。
むしろ両界の容姿、思想を取り込むお姿にとてもしっくりくる。
また今回の施餓鬼万霊供養の本尊として、その性質に『悪趣清浄』という特徴を有することはプラスであろうとも思う。
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