子供のころに持っていた「無垢なこころ」というのは大人になるとずいぶんと薄汚れたものになるらしい……
* * * * *
「まん防」にもかかわらず、朝の通勤電車は混んでいる。
通勤ラッシュを避け、時間差通勤したいのは山々だが、どうしてもそれができない日も多くある。
今朝もそうだった。
そんな通勤ラッシュで両サイド、背後とも人に接触する程の満員の通勤電車。
そこでちょっとした「出来事」が起きた。
「ぎゃあ~」
という耳をつんざくほどの赤ちゃんの泣き声が響いた。
私から少し距離があったが、見れば一歳にも見たない赤子を抱いた女性が満員電車の中で立っているのが遠目に見えた。
「なぜ通勤ラッシュのタイミングで赤子を連れてるの?」という議論は置いておこう。
私が時間差出勤ができないように、きっとなにか理由があるに違いない。
ただ……この耳をつんざく「ぎゃあ~、ぎゃあ~」という泣き声に皆が顔を顰めた。
この時、私は奇跡の言葉を耳にする。
「あ、天使が泣いてる」
ある「幼い少女」のセリフ。私はそのフレーズに衝撃が走った。
実は、その満員電車の中にいた少女がこのセリフを放ったのではない。
私は通勤時間「聴く読書」で、本を「聴く」のを日課にしていた。今日、たまたま聞いていた「ビジネス本」で、偶然「泣いている赤子」というエピソードの話になっていたのだ。
その「エピソード」は、まさに目の前で起きている状況と同じ。
そのエピソードでは大人の多くが顰め面をする中、上述の「天使が泣いている」といった少女がいたという話だった。
あまりの「偶然」。
これに神仏のメッセージがないというほうがおかしい。
私は「ぎゃあ~」という赤子の泣き声を聞いて少なくとも「ネガティブな印象」をもったのは間違いない。
つまり顔を顰めた大人たちの一人であったのだ。
ある時、同じ状況でこれを「天使の泣き声」と形容する少女がいた。
なんと……絶句するしかない。
きっとそ幼い少女が赤子を見つめる顔な……満面の笑みであったに違ない。
その場面がありありと想像されて、その美しすぎる光景に涙が出た。
それに比べて、私はずいぶんと薄汚れてしまったことを突きつけられる。
神仏の「やり方」は時にこんな風に強烈だったりする。
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