人生で一番自分の言葉を聞くのは誰か?
「私(自分)」に決まっている。
だから、「言葉」は自分に向けたメッセージだと「あらためて」意識する必要がある。言葉を発する時は「常に」「私も」その言葉を聞いている。
自分の発した言葉を自分が受け取る時「主語が抜ける」という話をよく聞く。
脳科学的に正しいかはよく知らない。
でも私はそう思うことにしている。
「主語が抜ける」と考えるならば他人に発せられる「悪口」は、自分への「悪口」にもなるということ。
人を呪わば穴二つとはよく言ったものだ。
言葉には力がある。そんなことは誰でも知っている。
宗教者はより「言葉」の力を目の当たりにしている。
「悪口」という「言葉」を使って、「相手を貶める」つもりが、その言葉で自分を傷つける。
「不悪口(ふあっく) 」は「乱暴な言葉を使わない」と訳されることが多いが、むろん文字通りの「悪口」も範疇と考えた方がいい。
深層心理的には「悪口」は「相手の価値を下げて自分の自我を満足する」という根っこがあるので、基本的には「自我が満たされる」ので「快楽」が伴う。だからやめられない。
ただこの時に実は「自身の言葉で自分を傷つけている」ということは重々意識はした方がいい。
他人の悪口を言い続けるとどうなるのか?
それはつまり「自身の悪口を言い続けるとどうなるか」という問いと同じであるから、その末路は「自己肯定感が下がる」のだ。
だから、さらに相手を下げようと「悪口」をいい、負のループから抜けられなくなる。
それを断ち切るための「不悪口」だ。
日常のお勤めで唱えて、一日に一度は「不悪口」を「意識」することは人生を好転させる上でとても大事だと思う。
だから、今日も、明日も「悪口」で自分を傷つけるなんて馬鹿なことを止めるために「不悪口」を毎日、毎日意識していきましょう!
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