准胝院のブログ

八王子市で准胝仏母を本尊とする天台寺門宗祈願寺院「准胝院」のブログです。准胝仏母祈願、不動明王祈願、人型加持(当病平癒)、先祖供養(光明供)、願いを叶える祈願(多羅菩薩)、荼枳尼天尊(稲荷)の増益祈願等

あなたの信仰するご尊格は、曼荼羅にいますか?

 「マンダラ」という「単語」は割と知っている人が多いでしょう。

 概ね「幾何学的な模様」のことを総称するような使われ方をしているように思う。

 

 ただこと密教という枠組みで「マンダラ=曼荼羅」ということになると簡単に説明できる代物ではない。

 試しにみんな大好き?「ウィキペディア」の説明を少し引用してみますね。

曼荼羅とは、密教の経典に基づいて主尊を中心に諸仏諸尊の集会(しゅうえ)する楼閣を模式的に示した図像。密教経典は曼荼羅を説き、その思想を曼荼羅の構造によって表し、その種類は数百にのぼる』

 おお、難しい~!!……と思いましたよね(笑)

 

 曼荼羅を見る機会は、密教のお寺や、時に「博物館」で展示されていることも多い。

 ただ、同じ展示物でも「仏像」「仏画」は注意深く見ても、曼荼羅は割と「素通り」という人が多いのではないでしょうか?

 

「だって、何が描いてあるのかよく分からないし」

ですよね?

 

 さて、なぜ今回はいきなり「曼荼羅」の話題を記事にしたのか?の話をしましょう。

 

 まず我が道場「准胝院」のご本尊は?むろん「准胝仏母」ですね。

 

 ということで今日の本題は曼荼羅」に「准胝仏母」が描かれているのか?という話です。

 

 どう思いますか?

 

 曼荼羅にはおびただしい数の仏像(尊格)が描かれていますが、ここに描かれない尊格も当然います。

 

 ここで「曼荼羅」の最低限の予備知識を記しておきます。

 日本密教で「曼荼羅」と言った場合には、普通は「両界(両部)曼荼羅」のことを指します。

 聞いたことありますか?「両界(時に両部と言いますが)」ということは「両」なのので「二つある」ということは想像できると思います。

 

 そうなんです。

 

 日本で「曼荼羅」と言った場合には「二つセット」と思ってください。

(今回はこれ以外の曼荼羅……例えば別尊曼荼羅などには触れません)

 

その二つある曼荼羅の名前は?

「胎蔵(界)曼荼羅
金剛界曼荼羅

 

の二つです(細かいことを言うと「胎蔵曼荼羅」は本来的には「界」ではないとする説もあります)

 

 この名称、薄っすら聞いたことありませんかね?

 今度、密教のお寺や、展示会、博物館などで「曼荼羅」をご覧になったらおそらく「二つセット」になっていることと、それぞれの名前が「胎蔵曼荼羅」「金剛界曼荼羅」になているので注意してみるものいいと思います。

 

 さて、ここから准胝さまの話

 まず、「准胝仏母」の別名を確認します。ここの読者の方は割と知っている人が多いと思います。

 答えは「七倶胝仏母(しちくていぶつも)」です。

 この「名称」の話は過去記事に詳しく書いたので参考にしてください。

ryona.hatenadiary.jp

 先に結論を言うと、准胝さまは上述した「七倶胝仏母」の名前で、二つセットのうちの片方胎蔵曼荼羅」の「遍知院」という「お部屋」におわします。

ただ!!

 という話をします。

 上述した二セット(両界・両部)の曼荼羅には基になるお経が存在します。

曰く

胎蔵曼荼羅大日経
金剛界曼荼羅金剛頂経

です。

 ここでは、それらの詳しい話は置いておきます。

 今日お話ししたかったのは、「胎蔵曼荼羅」には確かに「「七倶胝仏母=准胝仏母」が描かれています

 しかし、この基になるお経「大日経」には「七倶胝仏母」の記載がないんですね。

 さて、これは何を意味するか?一つの答は「後付けされた」ということです。

「それはいつ?」おそらく「中国で」後付けされた可能性が高いとか。

 インドからダイレクトに移入されたチベット仏教曼荼羅は、大日経のオリジナルに忠実とか。

 その心は、中国経由で日本に入ってきたなら「中国」で、となる。

 上述した日本で言う「両界曼荼羅」は具体的には弘法大師空海が請来した所謂「現図曼荼羅」の事を指す。今風に言えばこの形が「ゴールドスタンダード」。

kotobank.jp

 これは上述リンクにあるように空海の師である「恵果」が最終形態にまとめ上げたとする説が強いらしい。

 つまり見方によれば、完成途中であった曼荼羅が中国で完成形となり、その完成形が空海によって伝承されたと。
※所説あると思いますし、私も浅学なので間違いがあったらご指摘いただけると幸いです

 ここで分かることは、私の理解では中国で准胝仏母の人気が急上昇するのは宋代だったと思っていたが(下記記事参照)

ryona.hatenadiary.jp

 既に唐代でも准胝仏母が重視されていた可能性が感じられます。

 さらに、注目すべきは准胝仏母(七倶胝仏母)の位置。

 上述したように准胝仏母(七倶胝仏母)は「お部屋」としては「仏母達」がそろう「遍知院」にいるのですが、その「遍知院」の中でも「北側(向かって左)」に位置していることに注目。

 

 さて、胎蔵曼荼羅で「北側」で大きな位置をしてめている「お部屋」があります。

 なんでしょうか?答は「蓮華部院」、別名「観音院」です。

 つまり「観音さま」の一族郎党がそろうお部屋です。

 

 准胝仏母(七倶胝仏母)がその「蓮華部院」の直ぐ上に配置されているのは、准胝仏母と観音とが「近しい関係だから」と説明される。

 つまりこの時点(唐代)で「准胝仏母」が、日本において「准胝観音」と呼ばれる存在になる素地があったといもいえるのかなあと思ったりもしました(個人の感想)

 准胝仏母が「観音」との繋がりを感じさせる、そのベースとなったお経はむろん、当院の勤行次第にもその一部を載せている「大乗荘厳宝王経」(カーランダビューハ)であることは多分間違いないと思います。

 

 ということで、最後は随分とマニアックな話になりましたが、今回の記事に申し上げたかったのは……

 

 自身の信仰する「尊格」が曼荼羅の中でどういった「役割」が課せられているのか?なんてことを知ることも、難しい曼荼羅というものを学ぶ「切り口」としてはよいのかなということ。

 

 事実私は、自身のご本尊のことなので色々調べることはとても「楽しい作業」でした。

 皆さんも是非、好きな仏さまを曼荼羅の中に探してみてください!

 

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