准胝ってどういう意味?
さあ、どうでしょう?この准胝仏母(准胝観音)のことを知っていても、准胝(じゅんてい)の意味を知っている人は案外少ないと想像します。
例えば「十一面観音」という漢字を見れば「お顔が十一ある」という程度の想像はできます。
大日如来なら漢字そのものの意味から「大きい」「日=太陽」と正確な意訳ではないにしてもその意味に近づいていくこともできます。
つまりこれらの仏さまの漢字は、サンスクリット語を「意訳」しているからで、漢字からその意味を探ることが可能です。
しかし「准胝」については漢字の意味をいくら調べてもこの仏さまの意味にたどり着くことはありません。
それは「准胝=じゅんてい」という響きがサンスクリット語の「音写」だからです。「音写」とは読みに漢字を当てた、所謂「当て字」のことです。
では比較的日本でなじみのある尊格をいくつか書いてみます。
大日如来、毘盧遮那如来、阿弥陀如来、千手観音菩薩、地蔵菩薩、文殊菩薩、不動明王、毘沙門天……
まだまだあると思いますが、まずこれらの尊格の漢字に注目してください。そして皆さんもその漢字が「意訳」してあるのか「音写」なのかを是非考えてみてください。
意訳したものが「大日」「千手」「地蔵」「不動」ですね。漢字を見れば、なんとなく意味は想像できます。
音写したものは「毘盧遮那」「阿弥陀」「文殊」「毘沙門」です。それぞれ「ヴァイロシャーナ」「アミターバ(もしくはアミタユース)」「マンジュ(シュリー)」「ヴァイシュラヴァナ」を音写してます。
(ちなみに毘盧遮那のヴァイロシャーナにマハー(摩訶)をつけるとマハー・ヴァイロシャーナとなりますが、これを意訳したものが大日(如来)です)
結局何が言いたいのかと言うと、日本の尊格の名称はこれらが混在しているので慣れないと結構混乱してしまいますよねー……ということです。
さて、准胝さまに話を戻します。准胝は「音写」による当て字ですから「准胝」以外にも「准提」「準提」「尊那」「尊提」などいろいろな当て字が存在します。
准胝(じゅんてい)が音写であることが分かりましたが、では元々はどういう「音(響き)」だったのか?を確認してみます。
まずはウィキペディア「准胝観音」ページの「音写」に関する箇所のみ抜き出して引用してみますね。
『日本では従来、准胝の還梵はチュンディーとされている。漢名の准胝はチュンダー陀羅尼における「チュンデー」という語(チュンダーの女性単数呼格、「チュンダーよ」)の音写であるという説もある。インド原典ではチュンダーである』
『准胝はチュンダー(cunda)を音写したとする説、チュンディー(cundi)を音写したものとする説がある』
『准胝の源流をヒンドゥー教の女神チャンディー に比定する説がある(チャンディーはドゥルガーの異名とされる)』
どうでしょう?分かりにくいでしょ?(笑)
なんで分かりにくいかって、ドンピシャリの「これだ!」という答えではなくていくつかの説が存在するからですね。
だた、ざっくり言うと「チュンディー」説と「チュンダー」説の二つです「ディー」と「ダー」の違いなんですが「そんなんどっちでもいいだろ?」って思った乱暴な方もいると思いますが!?話はそう簡単には行きません。だって意味が変わってきますから。
ちなみに「チュンディー」だと「清浄」と言う意味になります。ウィキに書いてある通り日本では長らく「チュンディー=清浄」と考えられてきました。
が!!
学問的には「ある程度」決着はついていて「チュンダー」であることがほぼ確実なようです。「チュンダー」の意味は「鼓舞する」「はげます」という意味になります。
このチュンダーを「呼びかける」という場面で使うと、語尾が変わるります(呼格)。どう変わるかと言うと「チュンダー」が「チュンデー」になります。
つまりチュンデーは「じゅんてい」により近くなるので、准胝というのは「呼びかけている」という場面にも関係していると想像できます。
(詳しくは上村勝彦氏の「准提観音の起源」という文献が参考になります。オンライン図書館などで複写入手できます)。
ただ学問的には「チュンダー(鼓舞する)」が正しくても、上述したように日本では「チュンディー(清浄)」という意味で信仰されていた歴史があるなら、「学問」ではなく「信仰」という事においてはすでに大きな信仰の力が事実として存在すると考えるべきだと思います。
実際に准胝さまはよく「滅罪」ということに力を発揮する仏さまというのは多くの方の知るところだと思います。そう考えるならば滅罪=清浄ということで大いに納得がいきます。後述しますが、弘法大師空海が准胝尊を得度のご本尊としたのも、准胝さまが不浄を浄めてくれるから、法罰を被ることなく悉知成就させることができるとされているからと聞きます。
さて、「准胝」の本来の意味が「鼓舞する」「はげます」と言われても多くのは方はピンとこないと思いますので少しだけ補足しておきます。
准胝は上述したように「チュンデー」の音写ですが、具体的にはチュンダー女神という尊格が淵源になります。このチュンダー女神の古い石仏(九~十世紀頃)は、現在のお姿のように腕は18本(18臂)はなくて4臂です。そしてこの石仏がかなりの数が出土しているのがポイントです。つまりそれだけ信仰されていたということです。そしてこの4臂像で特徴的なのがパートラ(鉢)を持っているところ。
鉢?鉢がなんやねん?と思われたと思いますが、ここがとても重要!
鉢は何に使いますか?そうです。托鉢ですよ!
つまりこの時代「鉢」というのは行者の象徴だったそうです。つまりチュンダー女神は行者を「鼓舞して(はげまして)」仏へと導く存在として信仰されていたということになります。
この辺が分かってくると准胝さまの別名の意味も分かってきます。
准胝さまは別名「七倶胝仏母(しちくていぶつも)」と言います。「倶胝」というのは千万とも百万ともいわれる膨大な数の意味。七は単に「七倍」というよりはシンボリックに「無限」という意味合いを持たせていると解釈されます。つまり「七倶胝」というのは「無限にわたる数」という意味になりますから、その仏母となれば無限の仏を生み出す母という意味になりますね。
チュンダー女神がたくさんの行者を「鼓舞して(はげまして)」仏に導いたとういうことは言い方を変えればたくさんの行者を励まして仏を生み出したとも言えます。つまり意味合い的には「七倶胝仏母」とキッチリとリンクしてきます。
だから行者はこんなことを唱えて修行したことも納得できます。
「活動する女神よ!奮い立たせる女神よ!チュンダー女神よ!」
ピンときましたか?
聞いたことありますよね?この響き。もう少し詳しく書きますよ。
「オーム・チャレイ(活動する)・チュレイ(奮い立たせる)・チュンデー(励ます女神)・スヴァーハ」
そうです。准胝さまのご真言です。私は半人前の行者なので台密の真言をここに書くことは控えますが、ネットでいくらでも調べられるのでご自身で検索して確認してみてください。
その真言、めっちゃ「呼びかけて」てますでしょ?だから「チュンダーで」はなく語尾が変わって呼格の「チュンデー」だということの意味も分かってきます。
さてこうしてみてくると准胝さまというのは行者を助けてくれる(励ましてくれる)頼るべきご尊格と言う意味でお不動さまに近いお働きが大いにあるのに気づきます。
そう考えてみると、空海が高野山で最初に准胝堂を建立して准胝尊を「得度の本尊」としたことは、もちろん上述の「行者の不浄を浄めてくれる」ことと併せて、「行者を仏道へいくことをサポートする(鼓舞する)」ことも大いに関係していると感じます。
ちなみにチュンダー女神がなぜ出現したのか?という切り口で見ると、先にご紹介した真言(陀羅尼)が尊格化して「女神」として祀られるようになったのが順番になります。
このように「陀羅尼」から尊格化する場合は、「女尊」である場合がほとんどで、歴史的にも古くて有名な例としては孔雀明王でしょうか。孔雀明王が女尊である根拠の一つは「陀羅尼から生まれた」からであります。
ということで准胝尊特集第二回目は以上となります。
内容はいちいち文献のクレジットいれていませんが基本的に私の「記憶」を頼りに書いたのではなくて図書、文献で確認しつつ書いています。
それでも間違いがあるかもしれませんので、ご指摘、ご意見等頂けると幸いと思っております。前回の記事でも書きました通り、このブログは情報交換、意見交換のプラットフォームとしても機能させていきたいとも思っておりますので。
次回は、皆様も「モヤモヤ」しているであろう(?)准胝さまって「仏母」なの?「観音」なの?という話をしたいと思います。
最後に参考文献を乗せておきますので興味のある方はご覧になってください。
仏教の女神たち 森雅秀著(春秋社)
観音菩薩~変幻自在な姿をとる救済者~ 佐久間瑠璃子著(春秋社)
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