地道に密教修行

天台寺門宗の祈祷寺院にて密教の修行しております「亮和(りょうな)」と申します。修行、信仰を通じて感じたことなどを綴っていきます。※過去(本格的な修行前)に「地道に観音信仰」というブログを運営しておりました。どうぞ気楽にコメントいただけると嬉しいです!

准胝尊特集⑥禅宗で准胝尊が祀られる理由

 奈良~平安時代(実質は空海)、日本へもたらされた准胝尊は「唐密」のものでした。

 

 ただ、その後、日本の准胝信仰に影響を与えたであろう「伝来」が実は江戸時代にもあったんです。

 

 それは主に以下の2つです

 

 ①黄檗宗の伝来

 ②天台宗の豪潮律師の布教

 

 ①の黄檗宗と言えば「禅宗」であることは、ご存知と思います。「なぜ禅宗で准胝尊?」という疑問が当然でてきます。唐の時代で准胝尊は明らかに「密教の尊格」だったわけです。なのに禅?

 

 これは中国「明代」の仏教事情を知ると分かってきます。

 

 詳しくは下記論文が参考になりますが、入手も図書館利用など手間がかかるので私が100分の1?にまとめて結論だけ書いてみます。

 「明代の准提信仰について(一)(二)」

buddhism.lib.ntu.edu.tw

  

 

ポイント「その一」

 

中国宋代に書かれた「顕密円通成仏心要集」の影響力が半端ない。

 

 「顕密円通成仏心要集」の「顕密」の意味は「顕修」と「密修」のこと言っています。「顕修」はざっくり「参禅して見成成仏に至る方法」とのことなので「座禅せよ」という意味です。もう一つの「密修」は「至心に陀羅尼真言を誦し、秘密の方に伝って身心を加持して仏道を達成し……」ですからもろに「密教」のことを言っています。つまり「顕密円通成仏心要集」とは「参禅」「密教」どっちもやりましょう……ということが書かれている書物(雑過ぎる説明:汗)

 

ポイント「その二」

 

 また同著の説明している「密教」パートで強調しているのが「オン・マニ・ハンドメイ・ウン」と「オン・シャレイ・シュレイ・ジュンテイ・ソワカ」という真言を読誦するというもの。今までの私の准胝特集をきっちり読まれた方は、この二つの真言を見て「ピン」と来たはずです。そうです!この「顕密円通成仏心要集」が重視したお経が日本で准胝尊が観音になった論拠となったお経「大乗荘厳宝王経」なんです。

 

 つまり「顕密円通成仏心要集」の影響下にあった明代の「顕密双修」の「密」の中心に准胝尊がいたということになります。実際に明代に書かれた密教書はことごとく「准胝尊」に関する書物になっています。つまり明代の中国において、どうも「密教=准胝」だったということのようです。だから「顕密双修」の黄檗宗とともに当時の明の密教の代名詞であった准胝尊が日本にも伝来されたのも頷けます。そしておそらく黄檗宗以外の禅宗にも少なからず准胝尊の影響(多くの禅宗寺院で准胝尊が祀られている)がみられるのは当時の明の「顕密双修」の影響であることは想像に難くありません。

 

※ちなみに中国でも「准胝」と「観音」が同体であるという考えはあったようです。それがなんと「大乗荘厳宝王経」を猛烈プッシュした「顕密円通成仏心要集」の影響なんです。つまり日本で准胝尊が観音になった理由が中国でも同じだったということ。興味深いですね。つまりこの経を読めばその結論に至る可能性が高いということかもしれません。

 

天台宗の豪潮律師の布教

 

 豪潮律師は長崎で清代の中国僧から中国密教を授かっています。豪潮律師は広く准胝信仰を広めたことで有名ですが、清代の中国密教も当然明代から引き継がれたものでしょうから豪潮律師が「准胝密教(←こういう言葉があった訳ではないと思いますが)」を広く普及したことは非常に納得できますね。

 

 最後に、准胝尊のお姿について、日本のお像はインドのチュンダー女神像オリジナルに非常に近い容姿をしていることは前の記事で書きましたが、中国で見られる准胝尊のお姿は明代に書かれた書物による儀軌に沿っているようです。特に胸前で甲冑印を結ぶのは明代の中国仏教の影響だったことが分かりました。

 

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