数日前にNHKの人気番組「ノーナレ」に、大峯千日回峰行を達成された塩沼亮潤大阿闍梨が特集されていました。ご覧になった方も多いかと思います。
「ノーナレ」は「ナレーションのない」という意味で、余計な先入観を植え付けるようなナレーションは一切入らないのでその人となりがダイレクトに伝わってくるユニークな手法の番組です。
見逃した方は、NHKプラスから視聴できます(NHKと普通に受信契約していれば無料登録で見れます)
塩沼亮潤大阿闍梨は現在、地元である宮城県の仙台市秋湯に「慈眼寺」という修験寺を開山されています。私も何度か参拝させていただきました。
境内には修験道らしい質実剛健なご本堂が山門をくぐると正面に見えます。お堂の中には迫力ある大きな蔵王権現のご本尊が鎮座し、右脇侍が大日如来、左脇侍が不動明王という三尊像です。
大日如来が脇侍というのがなんとも珍しいと感じましたがこれも「密教ならでは」なのでしょうか……
さて、この番組で私が一番考えさせられたのが、塩沼亮潤大阿闍梨の頭部MRI画像が紹介されていた場面です。
なんと右側頭葉がかなり「委縮している」という衝撃の画像でした。番組に出演したドクターは「普通なら認知症が出ていてもおかしくない」と説明されていました。
私のような一介の修行者からみても、きっと大峯千日回峰行という生死のはざまで行われる苦行のさなか、ギリギリに追い詰められた精神状態によって塩沼大阿闍梨の心=精神にただならず変容が起きたのだろうことは想像に難くありません。とするならば、その精神を司る「脳」に変化があるのはむしろ当たり前なのかもしれないとも思いました。
ただその程度が、大峯千日回峰行という極限状態まで追い込まれる行の場合、脳が委縮するほどの変化を起こしてしまったという事実を見るにつけ衝撃を感じざるを得ませんでした。
ここまで脳が委縮するということは、あえて言い方を変えると「肉体を犠牲にしている」という事になります。TV番組で拝見する限り塩沼亮潤大阿闍梨にこの脳の萎縮による影響はないように思われました。我々凡人からしたら、だからといって「問題ない」と言い切れるほど簡単な話ではないと思いました。
事実としては肉体的な影響を受けてしまったという事実は、普通に考えればとても重いはずです。
「お前のような平々凡々な修行者が心配することでもなかろう?」
と言われれば確かにそうです。私も別に「心配」は全くしていません。
ただ程度の差こそあれ、密教の行者なら多かれ少なかれ「そうなる覚悟」をするべきなのだろうと思いました。密教は心の深淵にどうやってもアクセスしていくのだから。
そう言った意味で、この番組から
「その覚悟はあるのか?」
そう突き付けられた思いでした。
もちろん私はその問いに迷わず首肯する自信がある。
でも改めてこの番組を見て、今一度私は、大いに帯を締めなおす気持ちになりました。
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