師僧寺院の内陣で、例祭の準備をしている時に突然、同期の兄弟弟子の一人がこんな事を言った。
「元三大師、お祀りしないんですか?」
突然にそう言われた私は一瞬、何のことことが分からず「は?」と言ったまま、しばらく呆けたように口を開けてしまった。
彼は兄弟弟子の中でもつき合いが一番長いので私の信仰に関してはある程度、知っているはずだが私が今まで元三大師への信仰を話したことはない。だから私的には突然元三大師の名が彼から出たことに違和感を感じた。
実は彼は私のような凡才と違い、某術の家系の方で、霊的な感性に優れた兄弟弟子だ。だから過去にも折にふれて、唐突にこのような「何か感じたこと」を言ってくる場面は何度もあった。
私は今回もそんな場面だったのだと咄嗟に了解した。
「え?なんか感じたの?」
そう私が聞くと「里見さんの家はそのくらい強い守護があった方がいいんじゃないかと思って」
私はこの時、知ってか知らぬのか(後で確認したら知らなかったらしい)今日、内陣に掛けたばかりの元三大師の軸の目の前に来た途端、突然そんな話しをしたものだから「これは普通ではないぞ」という気になっていた。
しかも今日は「元三大師」の名前の由来である命日の正月の3日の「このタイミング」だ。
その時につい先日に、ある有縁の方から元三大師の軸装用の1mくらいある立派な「仏画」を頂いていたことが「ピン」と頭をよぎった。
(これ↓)
「実は先日〇〇先生から元三大師の絵をいただいたんだよね」
「やっぱりね……それ祀った方がいいんじゃないですか?」
いつもはどちらかというとこういった話はフワフワと語るのだが、今日はやけに強く言ってくる。しかも私が言う前に師僧にその話を持ち掛けてしまった。
師僧は「絵があるなら縁があるかもしれないね」と言われつつも、「元三大師の厳しさは時に聖天さま以上」とのことで祀ったら大変ことになるとも言われた。
これは悩ましいです。簡単な話ではないが、ここまでくるととても無視できる話でもない。
結論は急がず、この頂いた絵をまずは軸装はしておこうと思う。
必要であれば、先に進むはずである。この件は慎重に様子を見たい。
※「元三大師」の本地である「如意輪観音」は本堂にお祀りしてはいる
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