「歳徳神」のお軸を入手した経緯を記事にしたことがあった。
どういった経緯であれ、私は手に入れた「神仏」については「必ず自分に縁がある」と信じて、執拗にその尊格のことを調べ、そして拝み、ということをしてきた。
その「ご縁」から、後に上願寺さまより牛頭天王・歳徳神の香合仏を拝受し、歳徳神との縁をより強固にできた。
そして、この香合仏は持ち歩くことはせずに「仏像」と同じ扱いで、それぞれを祭壇にお祀りしていたのだが……。
ある時、「おや?」となった。
なんと、その祀っていたはずの「牛頭天王」がないのだ。
名探偵の私は即座に犯人を特定しましたよ。
↓容疑者
おそらく「しゃみぃ」の猫パンチで、どこかに飛ばされてしまったに違いない。
ただ……どんなに付近を探すが……見つからない。
最後は、スライムのように床に這いつくばって探しても見当たらない。
「しゃみぃ」が咥えてどこかに隠してしまった可能性も考慮して猫が隠したがるような場所を探しても……やっぱりない。
これが、先日も話題にした「しゃみぃ」を本堂から私の寝室に移した理由の一つでもあったりする。
しかし「しゃみぃ」を寝室に移したその直後……
「おそらく見つかるな」
という予感があった。
根拠は、全くないが、強くそう思った。
案の定、祭壇の下に置いてあった蓋の空いた「箱」(何度も探した場所だが)から牛頭天王さまが嘘のように簡単に見つかった。
「探し物」というのは不思議なもので、どうやっても見つからない時は、どこか「見つからない」という予感のようのあものがある。
逆に「あ、きっと見つかる」と思ったものは不思議とすぐに見つかる。
今回の牛頭天王様の件もそうだし、思い出せば先日の師僧の例祭の時にもある「次第書」を急遽探す必要になった時も「ここにきっとある」という予感が先行して、やっぱり見つかったということがあった。
かといって、私が探し物を見つけるのが得意かというと、決してそんなことはなく、むしろ苦手かもしれない。
きっと皆さんにも経験があるのではないか?と思う。
さて、誤解してほしくないのだが、「しゃみぃ」が本堂にいると邪魔だった、ということではない。
むしろ逆だ。
「しゃみぃ」が本堂に「閉じ込めてられている」ことで気になることは実はたくさんあった。
それは仏像が壊される、無くされるということではなく、行中の香の煙が小さい体の猫にはきっと健康被害があるだろうということ。
本堂は、猫が快適に暮らす環境(猫には必須の上下動ができるキャットタワーもない、安心してくつろげる場所もない、気温問題etc)にはなり得ないこと。
私の寝室に移った「しゃみぃ」は、明らかに居心地がよさそうだ。
しゃみぃのひとり遊び #見守りカメラ pic.twitter.com/tnLliW7cPG
— 亮和 (@lQQznyjr3d4XhpR) 2021年12月21日
今回のような、ちょっとした不思議。
それは、そこが「本堂」という、神仏に近い場所で、そこにいる私も最も神仏に接近する場所だから起きたように思う。
「いつもまでも猫に不自由をさせるな!」
きっとそんな牛頭天王さまの声だったに違いない。
八王子に越してきたと同時に来た「しゃみぃ」が「八王子」という土地に一番縁が深い(八王子そのものともいえる)「牛頭天王さま」が動かれたというのがなんとも「粋な」感じがした。
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