龍を作成した時に「目の位置」に注意を払いました。
眼を前につけるか、横につけるか、です。
なぜ「注意を払うのか」理由はわかりますか?
これは「どちらが正解」という話ではないのですが、正面につけるとより人間に近くなり横につけると人間から離れる、つまり動物的になる……という法則?があるからです。
その話を分かりやすく解説してくれている動画がありますので興味のある方はご覧になってください。羊の目の位置をなぜ正面にする必要があったかと言う話です。
話はキリスト教絵画の話ですが、私は「なるほど」と納得のいく話でした。
【ヤンファンエイク】謎修正!?羊の顔が人っぽくなった理由【ヘントの祭壇画】 - YouTube
日本でなじみのある「龍」は基本的に眼を正面につけて「人間らしい表情」を持たているものが多い気がします。
皆さんも「龍の絵」や「龍の彫刻」は検索すれば山ほどでてくるので「眼の位置」を注意して見てほしい。
さて、私は「あえて」眼を横につけました。
これは参考にした三井寺の仏画が真横からになっている都合上?眼が真横についているということもありますが、感覚的により「動物的(怪獣的?)」に表現したかったという想いが強かったから。
龍神、龍王として単体で、なら「動物的」よりも「制御されている感」を出すために目は正面にするのが正解な気がする。そうしないと、龍の荒々しさが前面に出て、制御されず「祀る」際に難しくなりそうだから。
ただ女神の下で付き従っているなら、「制御している神(仏)」がしっかり表現されているので、龍そのものに、わざわざ人間的な表現は不要かな、と思う。
つまり「荒々しい自然の力」をダイレクトに表現する方がイパワフルだと思うから。
くどい様ですが、どちらが正解という話ではなく、私はそう感じて、一応そこまでは考えて作っています。
これに近しい話として「イコン」があります。「アイコン」の語源らしいのですが、これも主にキリスト教絵画の世界で語られるようですが、おそらく仏教でも同様の発想があったはずです。
まえに偶像崇拝を考察した際に話題にした「神仏は容易に表現してはならない」という話です。
この「表現しない」ということの発展形として「リアルに描いてはならない」という話があります。
すると「守らなければならない様式」を決め、それ以上細かくリアルに描くことを避け、「単純で判で押したような記号的な絵」にするという方向性で「神仏」を表現するようになる。
つまりやろうと思えば、いくらでも「リアル」にできるのに「敢えて単純化している」という話です。
だから広義には仏像はどこまで行っても仏像でリアルな人間とは一線を画すのはこの「イコン」というブレーキがかかているからだと思います(あくまで持論です)。
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