スマホを見てると、理由は分からないが五十過ぎのおっさんのお勧め動画に、大学受験の英語教師の動画が表示された。
ショート動画なので何気なしに見てみると「へえ、おもしろいな」と思った。
人気の講師だと思うのだが、やっぱ話が上手い。
「ああ、なるほど講師関連(今の私の会社での業務が講師)」だからAIがお勧めに表示してきたのだな、と合点がいった。
さて、でもせっかくだからこの動画との「ご縁」をそれだけで話を終わらせない。
この動画は「話が上手い」という以上に、「重要な情報があるぞ」と感じた。
すぐに思い出したのが『三昧耶形』のこと。
『三昧耶形』とは『仏の力や性格を象徴する器物で,弓,矢,剣,杖,蓮華などの標識のこと。』と「訳(やく)」される。
さて、上で見た動画のポイントは「Come on!」という英文にある「やめてよ」「よせよ」という「「訳(やく)」を丸暗記するのではなく『ツッコミ』という「本質」「核」となる『イメージ』を知ることの重要性を語っている。
では試しに有名な『三昧耶形』である不動明王の『利剣』を考えてみよう。
辞書によれば『利剣』は『仏煩悩や邪悪なものを打ち破る仏法や智慧のこと』と「訳(やく)』される。
さて、これを丸暗記している「だけ」で意味はあるのだろうか?と考える。むろん知らないよりは知っている方がいい。
また、話を難しくしようとしている訳ではもちろんないので安心してください。
これから話す主旨は『「言葉」ではなく「イメージに落とし込めるか」が重要なのでは?』という提案です。
例えば「怠け心」という煩悩を何とか断ち切りたいと思ったとしましょう。
いますよね、そんな人。いやみんなそうでしょ?(笑)
そんな場合、「怠け心退散」なんて祈願をする訳にもいかないでしょうから!?自分でなんとかしたい。
でも「怠けるのはよくない!」と言葉にしたところでその「怠け煩悩」が消えてくれるほど安直な話ではないですよね。
だったら「怠ける心」を「怠け鬼」というリアル鬼をイメージして、不動明王が利剣で「怠け鬼」をぶった切るというイメージを何度も繰り返しえみえはどうかと?考えてみる。
「ばからしい!!」
人によってはそう思うだろう。ただそこに「信仰」があれば効果は期待できそうだ。何度もお不動さまが「怠け鬼」を叩ききってくれるイメージがリアルに感じられ、さらにそこに不動真言を唱えたりすればなおよさそうだ。
お不動さまの信仰が強い方ならきっと心になにがしかの変化が顕れるに違いない……と、信じる。
また重要なことだが(そして何度も繰り返していることだが)、短時間でも継続することが大切。一回やったくらいでどうにもならんでしょうからね。
さて、私の昔話を紹介。
「煩悩をぶった切る」という利剣イメージに関して、行者になる以前、こんなことがあった。
私は信者時代に「荼枳尼天(最上稲荷)」を礼拝していたのだが、最上稲荷の持物が「利剣」と「宝珠」ではなく「鎌」と「稲束」であることがどうもピンと来ていなかった時期がある。
最上稲荷が持つ「鎌」は「肩に担ぐ稲束」を刈るために使ったんだろうという陳腐な想像しかできていなかった私の責任なのだが(笑)。
ある時のこと。この最上稲荷を礼拝中。「稲束=宝珠」から「増益」のイメージを膨らませたことがあった。「増益」といえば平たく言えば「ご利益頂戴」ということだ。その時、お像の「鎌」が「キラリ」と光ったような気がして「ギクリ」とした。それはあたかも私がイメージした「増益」というイメージ(煩悩)を断ち切る鎌のように思えた。
「ああ!そういうこと!_」とその時、初めて合点がいった。むろん超個人的な解釈だが宝珠(時に稲束)を持ち増益に力を発揮する荼枳尼天だからこそ、その「利益に群がる連中の悪しき煩悩」をぶった切るという意味で「利剣」が必要なんだと。最上稲荷の場合は「鎌」も「利剣」のイメージを内在するのかもしれないと思った。つまりは煩悩まみれの連中が荼枳尼天にお願いしてもその願いが煩悩まみれなら、その願いは煩悩と一緒に利剣でぶった切られるに違いないとのだ。
裏を返せば宝珠のイメージばかりではなく煩悩を叩ききる利剣のイメージを合わせて、真摯に祈ればその願いは届くだろうという理解にも至った。
さて、そろそろ結論です。神仏は様々な象徴が『持物』で表現される。それに関心をもってください。まずはその意味を知る事。そして「知っている」(暗記している)状況をさらに進めて「イメージできること」までもっていく。そしてそのイメージを日常に祈りで積極的に使ってみる。そして継続する。
きっと祈りの質が向上すると思います。
ではまた。
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