得度して最初にする行は『三千仏礼拝』だった。
参考動画がありましたので、リンクします
これを一日千仏、三日間やる。
肉体的にも、精神的にも辛い行であることはお分かりいただけると思います。
以前には「その体験記」を記事にもしました。
さて、今日はその「続き」の話をします。
元来が武道家的発想からなのか?
『量は質に転化する』という言葉が好きだった。
つまり『質』を上げようと思うなら、頭であれこれお考えるよりまず『量をこなす』ということが「先」という考え方。さすれば自然と『質』は上がってくると。
むろんそんな「体育会系」な発想を仏教の行に当てはめることがあっているとは決して思わない。しかし、超個人的に、一理はあるように思っている。
だから「できないなら量を」という発想はいつもどこかに思っている。
ということで私は最初の三千仏礼拝で、一度は「形の上」では「萬行」したが、「質」の面では決して褒められたものではないと自覚していた。
だからこの時は……
「納得できるまで、何回でも三千仏礼拝を継続しよう」と決めた。
ただ、ここからは「質」重視で「一日一千仏」ではなく「二百仏」で十五日かけて三千仏礼拝を行うペースで行った。先の失敗を汲んで「一仏一仏丁寧に」を心がて行った。
最終的には五クール目の途中で(一万三、四千仏くらい)、で突如この行を終えることになった
「なぜ途中で終えてしまったのか?」
きっかけがありました。
結論から言うと「ああ、ここまでだな」という納得感があったから。
こんなことがあった。
三千仏礼拝も五クール目に入って半分をすぎたころ。上述したようにトータルでは一万三、四千仏くらいだろうか。
夜八時くらいだったと思う。
私はいつものように五体投地でひたすら礼拝を行っていた。
すると、私の行中には決して声をかけてこない妻が、その日に限って、私が行をする部屋に入ってきた。
「え?なに?」
少し怪訝に思ってそう妻に顔を向けた。
すると……
「おばあちゃん(私の母のこと)危篤だって」
という答えが返ってきた。
むろん、そこで行は中断して急いで夜な夜な仙台から埼玉の実家に向かった。
母は癌で入院していたのでいつかは、その時が来るとは思っていた。
翌、未明に母は他界した。
それからバタバタと葬儀を終えてから、仙台に戻ってきた。
久々の自宅。本堂に入ると、あの晩、妻がたずねてきた時の、やりっぱなしのままになった「三千仏」の経本が、開いたままの状態で置いてあった。
「ああ、そういえば行の途中だったな」と思い出す。
そのページからまた再開ということもできた訳だが、なぜかその時は「この行はこれで終わりだな」と確信めいて思ってしまった。
根拠のない、あくまで私の主観なのだが。
決して母の病気平癒を願ってこの三千仏礼拝をしていて訳ではない。
でも、「後付け」の解釈だが私は、この行を通じて母と自分との縁にまつわる「業」を准胝様の前で懴悔していたのだろうという想いがふつふつと沸き上がった。
「だから、この行はここで終わりでいいだろう」
そう言われたような気がした。
そして「三千仏礼拝」という行が自分の中で「完遂した」と思ったその翌日。つまり母の葬儀が終わり仙台に戻ってきた次の日。
偶然にも護身法の伝授があった。
「これるの?」と師僧に言われたが「行きます」と即答した。
ここから密教の本格的な行がスタートすることになったのは、やっぱり偶然とは思えない。最初の三千仏礼拝から今へつながる道程にあったと思うと納得がいくからだ。
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