過去の修行の体験談を書いていこうと思います。
今日は「三千仏礼拝」について。
一門では、得度するとすぐに三千仏礼拝を行います。
この行をされた方は、『身をもって』経験されたと思いますが、肉体的にも精神的にもかなりキツイ行になります。
まず肉体的には『五体投地礼』を三千回です。これは、動作的には「跪いて→立って」を三千回繰り返すという意味です。
今風に言うと『スクワットを三千回』よりもきつい動作になります。脚の筋肉が疲労で動かなくなり、膝などは擦り切れてしまうことも。
さらに人間は「起立」→「頭を地につける」という動作の繰り返しは「血圧」がいちいち大きく変動しますので循環動態という意味においても身体に結構な負荷を強いることになります。
ご年配の方もいますので特別に配慮して最大一か月(一日百仏礼拝)までということになっていました。
ただ正規やるならば一日千仏礼拝×三日です。
当時は、密教行者を目指すものは基本この正規の日程で終わらせるのが暗黙の了解のようになっていました。
しかも比叡山行院では一日でやるという話も聞かされますので、三日でも優しい方だと諭されます。
私はこれを聞いてこの行の本質を見誤り「痛い目」を見ることになります。
この時の私はキックボクシングのジムに通っていたので体力的には大いに自信がありました。
だから思った訳です。
「一日で充分だろう」
間違った慢心です。
当時の未熟すぎる私はこの行を「スクワット」と変わらない体力勝負だと勘違してしまったのです。
この行は、基本的に「祭壇の前」で行う訳ですが、当時の我が家には「本堂」と呼ばれるほどのスペースがなかったので三つの小さな祭壇が分かれてありました。
曰く「准胝仏母の祭壇」「六字大明(四臂観音)の祭壇」「聖天さまのお札を祭る祭壇」です。
私は三千仏礼拝なら、ちょうど三つある祭壇の前で、それぞれ千仏礼拝をすればいいと考えました。
順番としては「六字大明で1000回」→「聖天さまで1000回」→「准胝仏母で1000回」。
つまりは、ラストは本尊の准胝さまで満行する算段でした。
体力には自信があったので「六字大明」「聖天さま」の前での二千仏礼拝までは比較的順調に進みました。
しかしラストの「准胝仏母」の前で礼拝を初めてすぐに体調に異変をきたします。
突然眩暈と吐き気に行を続けることが困難になったのです。二千仏をすでに終えていたので「疲れが出た」のかもしれません。
ただ、タイミング的に「ご本尊音前で」ということに「意味がある」ように感じました。
そにてしても、いきなりの体調不良に困惑します。
私は准胝さまの仏画(当時はまだ仏像はない)の前で座りんでしまい、私は「なんすか?これは」と呻くように准胝さまに泣きついたのを覚えている。
体調のせいなのか、別の理由があったのか……全身から「ゾワゾワ」と鳥肌が立つのを感じた。
ようやく私は「あ、しまった。なんか間違った」と直感的に感じました。
その時、ある事を思い出します。准胝さまの「滅罪の力」です。
「そうだ、准胝さまは滅罪の功徳がめっぽう強いんだった……こんな急激に滅罪を進めたら未熟な私が耐えられるはずがない」
当時の解釈はこの通りだったが、芯は捉えていたように思う。
曲がりなりにも当時、准胝尊への信仰は篤かったので、一番繋がりやすいであろう准胝尊前で行をした瞬間、滅罪という「験」が強烈に放出してしまったのだと私なりの解釈をしました。
であれば、当然それに伴う反動も強烈なものになった……そこまでの理解がスルスルと頭に入り込んできました。
「ここからは礼拝のペースを落とすべきだ」
私はそんな当たり前のことにようやく気付くことになります。
私はたただちに行の修正を行いました。しかし、ペースを落としつつも、その後も何度も具合が悪くなり「だましだまし」なんとか行を終えることができます。
結局一日で終わらす予定だった三千仏礼拝は二日かかることになりました。
これ以来、准胝さまの「滅罪」の威力は私の中では疑いようもない「事実」となり冷や汗モノだったが、多くの学びのあった修行となった。
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