私が「日常」ということを重視しているのはこのブログの読者さまはご存知と思う。
さて、この「日常」を有意義なものにするために、私が気に入っている言葉に「般化(はんか)」がある。
だから「般化」の話をしてみたいと思う。
「般化」を辞書的に説明すると、少し分かりにくい。曰く「心理学で、一定の条件反射が形成されると、最初の条件刺激と類似の刺激によっても同じ反応が生じる現象」
判り難いですね(笑)
分かりやすいように例を出しましょう。
心理学の授業でよくやる実験です。
右手で「〇(円)」を書く練習をします。ある程度、綺麗な〇が描けるようになってからペンを左手に持ち替え、左手で円を書いてみる。
すると左手では〇を描く練習をしていないにもかかわらず、右手で獲得した能力が「左手」に「般化」したとで〇を描けるようになるというもの。
もう一つ例をだします。以前にこのブログでも紹介した「瞑想」の例で話しましょうか。
普段、椅子に座って瞑想訓練を継続的にしているとしましょう。すると日常のある「座る」という場面、例えばレストランで座る、電車の座席に座るなど「座る」という刺激がトリガーとなり勝手に瞑想状態に移行することが可能になる。これも「般化」の一例。
自身に目を向けてみる。
日常の密教行者は、三密を保持することで感応道交を達成して神仏に繋がる。
「般化」と言う言葉を使って、日常への影響を考えてみる。するとこんな説明はできないだろうか。『印や真言が「般化刺激」になっていつでも神仏に繋がれる状態をキープできる』確証はないが、あり得る話だ。
であるならば、その帰結としてはやっぱり日常の行は大事である、ということになる。
では今度は在家の信者さまはどうか?
日常的に神仏に向き合っている信者さまなら、実は我々と大きな違いはないと思ったりする。お経を唱える等の毎日の勤行もそうですが、ただ単に常に「神仏を思うこと」が習慣になっている人ならその「思い」が「般化刺激」となって、常に神仏と繋がっている状態をキープできる可能性も見えてくる。
そう考えれば、普段に何もしていなくて、神仏のことも思い出したりもしなくて、何かお願いすることができた時だけでっかい祈願をお願いするのはあまり得策でない気がする。それよりも大それた祈願などなくとも日常的にコツコツお勤めするほうが神仏とは近くなれそうだ。
さて、ここからは私の想像。
仏教には「薫習(くんじゅう)」という言葉ある。その意味は多岐にわたり難しい説明も多く存在するが、その根底にある意味は「物に香りが移り沁むように、あるものが習慣的にはたらきかけることにより、他のものに影響・作用を植え付けること。」 になるだろうか。
この言葉のニュアンスから感じとれるのはでっかい刺激を一時的にドカンと与えるのではなく、徐々に徐々に「日常的に」沁み込むようにすることが薫習と分かる。
だから我々が実践する時は「太く短く」という修行やお勤めではなく、少しでも毎日続けることをより重視すべきである。「日常」というのは「継続的に」という意味がその背後に暗黙の了解として横たわっている。
その「沁み込み」は細く、小さくても「長く長く」続けることで良い「薫習(くんじゅう)」は成る。
だからくどいようだが、このブログでは言い続けます。
日常を大事に、毎日の祈りを大事に続けましょう。
住職作 多羅菩薩
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病気平癒、健康維持にとてもよく効く祈祷で、お加持をした「お札」を毎日枕の下に入れてその札に「悪いもの」を吸い取ってもらうように機能させます。人によっては患部に当てるよう袋を作ってお守りのようにしている方もいます。不動明王による祈祷を行いますが、当院では延命に強い准胝仏母の力もお借りして祈祷致します。
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