准胝院のブログ

八王子市で准胝仏母を本尊とする天台寺門宗祈願寺院「准胝院」のブログです。准胝仏母祈願、不動明王祈願、人型加持(当病平癒)、先祖供養(光明供)、願いを叶える祈願(多羅菩薩)、荼枳尼天尊(稲荷)の増益祈願等

山形にある稲荷信仰のお寺

 仏教における稲荷信仰の霊場といえば愛知の豊川稲荷、高松の最上稲荷が有名ですね。

ではそれ以外の霊場ご存知ですか?

 実は山形に「神仏混淆の寺」として白狐山光星寺(曹洞宗)があります。東北にいながらも実は私もつい最近知ったのですが(汗)

sotozen-navi.com

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 ……ということで、ようやく先日参拝してきました。

 訪れて思ったのは上記リンクのサイトを見ていただくと分かるように伏見稲荷を彷彿とする紅の鳥居がトンネル状に並び、想像以上に「稲荷」でした(なんか変な表現で申し訳ございませんが……)。

 普通の人が入ればきっと稲荷「神社」と間違うと思うほどです。

 パンフレットにあった「縁起」を読むととても興味深い内容でしたので引用させていただきます。

 貞観3年(西暦861年)開基住寶傳蜜公九師僧正が東北諸州巡化にて羽黒山にいた際、東北に瑞雲がたなびくのを見て、あの地に霊地がある。其処へ行きたい。と自ら所持していた十一面観音様に祈りを捧げた。
 ある晩、夢の中に青衣を着て白狐に乗った天女様が現れて「我は貴僧の望んている霊地の守護神なる大弁財天である。貴僧が浄業を修せんと望むなら、我が同体の身分なるだき尊天の白狐を遣わす。その先導に従って参られよ」と告げた。
 数日後、白毛金尾の老狐が現れて先導を請うた。白狐の後に従って行くと、あの瑞雲のたなびきし森「護国宇賀神王菩薩大弁財尊天の安座している霊場」についた。
住寶僧正は、この地に持念仏となる十一面観音を本尊とし、大弁財天、ダキニテ尊天の三尊を祀ってお堂を建立した。
 僧正を導いた老狐も宇賀の森の深谷の中に隠れ住み、僧正に随従して守護した。僧正もこの恩にむくいんと長く老狐に眷属を扶持すべしと遺言され、日々の供物の他に1,8,10,15,17,23,28日のご縁日には、特に吟味した供物をお供えしております。
(白狐山光星寺 パンフレットより)


 この説明を読んで個人的に「興味深い!」と思ったポイントをいくつか書いておきます。
 まず、同じ曹洞宗豊川稲荷より開基がずっと早いということ。そして荼枳尼天さまの「お姿」を拝見すると豊川稲荷の構図とそっくりなのだが↓

参考:豊川稲荷のお姿

aucview.aucfan.com

 そっくりですね……しかし、光星寺は右手の持物が「稲束」ではなく「宝剣」を持つ密教系のお姿です。細かいことを言えばお狐さんが稲を加えているのがちょっと独特ですが。
 さらに縁起では弁才天が白狐に乗って登場して、さらには荼枳尼天を「同体」と言い切っているのが「おお!」と思いました。

 またネットの記事では「立谷沢の御瀧神社(熊谷神社)を参拝して、羽黒山を参拝し、最後に白狐山で参拝する巡礼が行われた」とあるように、場所がら羽黒修験との関連は間違いないのだと想像します。

 神仏分離の際にどうなったのか気になってネットで調べてみましたが見当たらりませんでした。

 「荼枳尼天」が「お姿」として前面に出ている霊場は、豊川稲荷最上稲荷が有名とはいえ全国的にはそれほど多くないと思います。しかもそのお姿が密教系の持物を持っているということも尚希少かもしれません。

 宗派は曹洞宗なので、ご本尊は「釈迦如来」ですが、上述の荼枳尼天、弁才天と十一面観音さま(他多くの観音さまがいます)での祈願を多くされる祈祷寺院です。

 最後に、特筆すべきところでは、白狐の剥製が「神様」としてお祀りされてりました。人によってはお寺に「剥製」という部分で違和感を感じると思います。しかし、しっかりと壇の中に安置され、厳かに荘厳されておりました。私は自然経机に立ててあった般若経典に目が行きましたが、荘厳、ご供養がとても大切にされていると感じとても暖かい気持ちになりました。
 
 山形県でも日本海側なので仙台からでも結構時間がかかりましたが、荼枳尼天信仰のある方は是非訪れたい霊場だと思います。

 

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ひたすらお犬様の御札の本

注文していた「お犬様の御札」という本が届きました。本書を購入したのは犬が病気になったこととは無関係です……たぶん!?

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 タイトルの通り「お犬様」の御札が沢山掲載されている本です。

 最初から最後までひたすらお犬様という超マニアックな本ですが(笑)お犬様信仰、ご眷属信仰に興味のあるかたは必読の書だと思います。

 個人的にはもう入手が困難になっているお札が多く紹介されていること、特に神仏分離以前の今ではめったにお目に掛かれない「神仏習合」の御札(例えば本地仏の十一面観音様の御姿とお犬が一緒にいたり、狐ではなく犬に乗る秋葉権現風の神様など)を本書で拝むことができます。

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 また、お札の写真が掲載されているだけでなく、この寺社の由緒、行き方(交通)、お札授与の方法まで解説されいるので寺社のガイドブックとしてもとても優れた図書になっています。

 ただ「同人誌」なので本屋やamazonでの購入はできないので、興味のある方は下記の著者のtwitterより問い合わせてみてください(価格は¥2870/B5判・248P/送料込)

twitter.com

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放置されるお堂

 昨日の夢の記録について、少し考察したいと思います。まずいきなり夢を壊してしまって申し訳ございませんが(夢だけに?)、夢に出てきた光景というのは「見ず知らずの場所」ではなく、あきらかに夢の元になった現実の場所が存在して、もっと言えばなぜあのような内容の夢を見たのかの理由も概ね自分で分かっています。

 私は本格的な仏教修行に入る前から熱心な「観音信者」で、現住の東北にあるおおよその観音霊場は参拝しつくしていました。

 以前も話題にしましたが、具体的には東北にあって、整備されている以下の観音三十三霊場をご縁に多くの観音霊場を妻と巡らせていただきました。

・東北三十三観音

・仙台三十三観音

・最上三十三観音

置賜三十三観音

これだけでも130か所ですし、これ以外にも多くの観音霊場に足を伸ばしました。

 夢に出てきた場所は、きっとこの観音霊場のどこかです。候補が多すぎて特定できませんが(笑)

 東北にある観音霊場は、歴史ある霊場と違い探すのにも一苦労するような山奥の小さなお堂という場所も結構ある。決まって、そのようなお堂は「無人」で、時に隙間からお堂を除くと埃だらけ、最悪な場合観音さまが破損している、転がっているなんてところもありました。

 私はそのたびに「なんだかなあ」と悲しい気分になりました。破損したお像を見るとついつい手を出したくなる悪癖?もこのころの経験が影響してるのかもしれません!?

 だからこのような「放置されている」霊場を後にするたびに、「ご眷属さん」が「なんとかしてよ」と言っているような気がして、後ろ髪惹かれた経験が何度もありました。だから昨日の夢もそんなその時経験した「ご眷属さま」の訴えを若い女性が代弁していたと思えば「そうだろうな」と思う。

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 だからと言って、あくまで夢なのでどこかの霊場のご眷属が私の夢にリアルに出てきたという話ではもちろんないと思いますよ(可能性ゼロではないと思いますが!?(笑))

 また余談ですが、手入れがされていないのは必ずしも「無人」のお堂ばかりではなく、立派なお寺に移設された小さな観音堂でも同様な状況になっているのを目にします。本堂や庫裡はとても立派なのにその移設された古い観音堂だけ放置され、何か月も入った形跡がない状態になっている。

今となっては同じ僧侶として「あかんだろ」とつくづく思う(生意気いうようで申し訳ないが)。

関連記事も参考にしてください↓

ryona.hatenadiary.jp

 

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月をかかげる朱雀像

 先日記事にした「夢の話」をしてみたいと思います。わざわざ記事にするということは「少し不思議な話」ということになるのですが、こういう不思議な夢を見たり話したりするときには個人的にいくつか「注意しなければならないことがあるよね」と思っている。
 その時ポイントになるのはこれは「夢」であってそれ以上でもそれ以外でもないということ。だから私は「夢」ということを飛び越えて「それ以上の意味」を見出すことはあまり賛成しない。具体的には「予知」だとか「お告げ」だとか。それはその先に待っている「自我肥大」(簡単に言うと「私は選ばれしもの」「私は能力者」など)を起こして自分が偉くなったような勘違い(自我肥大)してしまう危険があるからだ。
 ただ私の場合「夢」の解釈に関しては一般の人とは少し「違う」解釈をしているので「夢=ただの記憶の残像」という身もふたもない話で終わらせるつもりもない。
 具体的には「夢は無意識の入り口」と解釈するので、普段は意識できない有用な情報がその夢に含まれていると考える。

 その多くは私個人の「記憶」がベースになっているはずだが、時に自分の記憶以外の情報が入る可能性も私は否定していません。ユング心理学的な表現を使えば集合無意識、普遍的無意識は個を超えて他人と繋がっているという解釈。ちょうど先日最終巻が発売された進撃の巨人のエルディア人が道で繋がってるのと同じ解釈です(笑)

mono-money.com


 つまり見た夢を「夢ではなく予知!お告げだ!」といったように「夢ではなく神秘体験だ」と解釈してしまうことと「夢は神秘体験が混ざりこむ可能性がある」という微妙な解釈の違いです。もちろん私は後者のスタンスです。
 だから冒頭に戻りますが、その夢を解釈するときは「概ね個人的な記憶の断片」で構成されている夢だが、中には検討するに値するかもしれない情報もある」という謙虚な姿勢で夢と向き合うのが大事かなと。

 さて前置きが長くなりましたが、夢の話にいきましょう。アマチュア(自称)小説家らしくストーリー仕立てで記してみます(笑)

「これどう思います?」
 私は鳥居をくぐって高い階段の中ほどまで来たところで、白いワンピースを着た若い女性にそう話しかけられた。
 見ると女性はまだ続く階段の途中にあった「中門」を指さして呆れ顔をしていた。
「えっと、何か祭りの準備がされてるんですかね?」
 私はその中門が綺麗に荘厳されているのを見て、きっと近いうちにこの寺で祭りがあるのだろうとボンヤリ想像した。
「そうなの、でもね……これじゃ駄目よね」
 その女性は腕組みをしてなんとも機嫌が悪そうだった。
 するとその女性は私に顔を近づけ、指を中門の上にある「空」に向けた。
「指の先に何が見える?」
 私は言われるままに女性が指した指の先を見た。

 するとちょうどそこには白昼の「三日月」が見える。私の立ち位置からだと階段途中まで来てこの中門を見上げるとその上の空中央に白い三日月。なんとも美しい構図だった。
「分かるでしょ?」
 女性は挑む様な笑顔でそういった。
「あの月がなんか祭りと関係があるってこと?」
 私はその女性に尋ねた。
「決まってるじゃない?だからこの飾りつけ、全く意味ないでしょ?」
 まあ飾らないよりはいいと思うが、この女性にはどうやらこの荘厳には頗る不満らしい。
「あなたもう一回、月を見てもらえる?」
「あ、はい」
私はそう言われてもう一度顔を上げて月をみる。
「何か足らないの、分かる?」
女性は私の顔の横まで顔を寄せながら目線を合わせて、また指で月を指し、一緒に指の先にある月をもう一度みた。
「この門の上に何かお像を置いて月を迎えるような構図にするんじゃないかな?」
私は直感的に思ったことを口にした。
「そう!それよ!」
女性は私の肩を強く叩きながら異様にテンションが上がっていた。
「本堂の先に奥の院があるの。そこにそのお像があるから持ってきましょう」
女性がそんな提案をする。
「そんなこと勝手にやっていいの?」
「大丈夫。この寺は無人で、檀家が有志で祭りをしているだけだから。でも一応総代にだけは話し通しておきましょうか」
 そもそもこの女性はいったい何者なのだろうか?この寺の管理人?檀家の方?……なぞは残るがこの女性のあとをついて聞きながら本堂で祭りの準備をしている総代に話を聞いた。

 総代は年配の男性で、とても明るい気のいい方だった。その女性の提案に対して「好きにやってくれ」と快く承諾してくれた。

 私とその女性はその足で奥の院に向かった。
 確かに小さなうっそうと背の高い木が生える小さなスペースに割と大きな「お堂」があった。これが奥の院なのか?あまり管理されていな感じのするお堂に少し不安になる。

 私とその女性はそのお堂に入ると、案の定、しばらく人が入っていないのか中は埃だらけ、破損だらけで、なんとも荒んだ感じが酷かった。
「ここにそのお像があるの?」
 私は少し不快になってきた。そんな意味のあるお像があるように思えない。この感じだと毎年のお祀りにそのお像をここから取り出していないのは明らかだった。
「あるわよ……あそこ見て」
 そう言って女性が指を指した先に白い布で包まれたいくつかの「塊」が目に入った。大きさは50cm程度だろうか?傍にいくとその塊は4つほどある。
「これがそうなの?」
私は半信半疑でその「塊」を指さした。
「そうよ。この中からお祀りするお像を探して」
「え?探してって、私が探すの?」
「そうよ。だからあなたに声かけたんだから」
なんとも強引な感じだが、私はとりあえずその塊に巻いてある白い布を外しにかかる。

 布を外してみるとそこには確かに4体のお像があった。どれも見たことがない。つまり私が良く知る仏像、神像ではない。非常に古いものだと分かる。見ればどれも「動物」がモチーフになっておりいかにも「太古の山の神様」と感じた(もののけ姫の影響?(笑))
「ねえ、どれだかわかるでしょ?」
 その女性はキラキラと期待を込めた目で私を見つめていた。
 いやいや、わかるでしょって、知らんがな……というのが本音だったが、それでも四体のお像をじっくり観察した。一体一体見つめていると最後の一体、つまり一番右に置いてあった「鳥」をモチーフにしたお像を前にしたときに、さっき見た「中門の上の月」の映像が思い出され、「ああ、この鳥だ」と直感的に分かった。
「このお像だね」
私は妙に確信めいてその女性に言った。
「そう!そのとおり!やっぱりわかったのね」
女性はそう言って嬉しそうだが、……結局この女性、最初から知ってたんじゃん?私、試された感じ?
 でも確かにこの赤い朱雀のような鳥が嘴を天に向けている姿。その嘴の先にさっきみた三日月が乗るような位置に安置するのが確かに正解だと感じていた。
 そのお像は古いお像だったが赤い朱の色がとても印象的だったと今でも覚えている。

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 私と女性はさっきいた中門までお像を抱えて戻っていった。

 その途中で女性が妙なことを話し始めた。
「あなた、お坊さん?」
「あ、まあ一応僧籍はあるけど」
「あのお寺に入ったら?」
「え?だって本堂しかないでしょ?どうやって暮らすの?」
「あの本堂の向こうに庫裡があるから大丈夫よ?」
確かに遠目に二階だけの家屋が見えた。
「でも誰か住んでそうだけど」
「そう、あなたがあの家に入るのよ。」
「いやいや、家族もいるし……無理だよ」
 私はいきなりの提案に驚いたが、現実的に考えて無理なのでそう言って断った。いちおう夢ということに気づいていないので現実世界と思い込んでいるから当然の回答だと思う。
 すると私の答を聞いた女性はひどく残念そうに、というよりもとても落ち込んだ様子で一言呟いた。
「そう、それは残念ね」
そう一言残した女性はそのままスッと消えてしまった。
「え!?」
何が起こったのか分からず、女性の姿を確認すべくきょろきょろ辺りを見回したところで目が覚めた。

「夢か」

あまりにリアルだったので思わずそうひとこと漏れた。

 以上です。どうでしょう?なかなか興味深くないですか!?「ただの夢」かもしれませんし、神秘的な要素が混じっている可能性もあるのでじっくり心にとめておきたいとおもうのでした。

 くどいですが「夢」であってそれ以上でもそれ以下でもない。しかし、たかが夢、されど夢です!(笑)

 

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明恵 夢を生きる

 今朝、とても印象的なリアルな夢を見たので、すぐに記録をした。ただ夢というのは起きた直後から砂が指の間から零れ落ちる様にみるみる忘れてしまうので記録してる途中で記憶を「補完」しながら書かざるをえなくなる。だから記録が終わってみると「ちょっと違う気がするな」という程にストーリーが改変されていることも多々ある。

 ただ、書いているうちに知らず知らず改変したことにも、それはそれで無意識のメッセージとして意味があるかもしれないから個人的にはむしろ積極的に思うがままに書くようにしている。

 さて、皆さんは40年にもわたり、夢の記録をしたという鎌倉時代明恵上人をご存知であろうか?

ja.wikipedia.org

ユング心理学者、故河合隼雄氏は著書「明恵 夢を生きる」の中でこんなことを言っている。

『生涯にわたって夢の記録を書き続けることは、思いのほか心的エネルギーを必要とすることなのである。うそと思う方があれば、自ら試みられるとその困難さが分かるであろう。(中略)夢というものは、覚醒時の意識とは簡単につながるものではないので、それを覚えていることは思いのほか難しいことなのである。夜、夢を見たと思っても起きたときに忘却してしまう人が多いのはこのためである。(中略)時には、夢を非常に克明に覚えていて、記録もどんどん書いているという人もある。このような場合は、無意識の力が強すぎて意識的な制御を超えている場合があり危険が伴うこともある。このような場合は結局それが長続きすることが少ない。あるいはその夢の内容に病的な要素が強く示唆されこともある。明恵の夢にはそのような点がほとんど認められない。このような点から考えると、明恵があの時代に、夢の記録を書き続けたという事実は、彼の強靭な精神力が計り知れぬものであることを示していると言わねばならない。世界の精神史においてさえも稀有な、と先に述べたことは誇張でもなんでもないのである。』

明恵 夢を生きる」河合隼雄著(京都松柏社)より引用

 つまり夢の記録をするということは、結構大変な作業であり並みの精神力では続けることは難しいということ。

 明恵のように夢の記録を続けることが果たして仏教の修行になるかは別として、個人的には自分を知るためにも「印象的だ」と思った夢は記録しておいて「あれこれ」分析するのは自分にプラスになると思ってやるようにしている。

……といことで、今朝の夢を記そうと思いましたが、長くなりそうなのでまた後日(笑)

 

参考図書

 

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荼枳尼天は宝珠の狐に乗る

 荼枳尼天が跨る狐さまが、実は宝珠の輪郭をしていた事に破損したお像を見るとこではじめて知りました。こういった事は儀軌にも記載があるんでしょうかね……
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 ここまで破損しているとオークションでもダレも札を入れない。
 スタート価格が3000円だったので、念の為札を入れておいたら3000円で落札の連絡が来た。
破損がなければ数万円はするであろう作りのいいお像です。
 きっと私が直せということでしょうか……
 破損した腕の位置関係から最上稲荷の可能性が高そうですが、どうでしょう。
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 いっそ四臂像にして見ようかしら?
 しばらく様子みてなんかご本人様からメッセージがあればそれに従おうと思います。

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今日から行開始!

 今日から本尊供と新たな祈祷法の行がスタートします。

 書写も終わり準備万端です。

 本尊供と祈祷法を毎日二座の50日で100座萬行を目指します。

 気を抜くと色々なことが起こるのでとにかく気を引き締めていこうと思います。

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