准胝院のブログ

八王子市で准胝仏母を本尊とする祈祷道場「准胝院」のブログです。リンク 准胝仏母祈願道場「准胝院」について https://ryona.hatenadiary.jp/entry/2021/11/01/0636 ※天台寺門宗教師 亮和

たった一枚の御朱印で……

 御朱印集めが人気の反面、『お参りではなく御朱印集めを目的にするのは本末転倒』『御朱印をスタンプラリーと勘違いしている』といった寺社側の批判を耳にする機会も多い。

 これについて個人的な経験をもとに少しだけ私の意見を述べてみようと思います。

 私がかつて妻と二人で、東北にある四つの観音三十三か所霊場巡りを行い、計130か所以上の観音霊場を訪れたことを記事にした。

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 私はこの観音巡りの際には、専用の御朱印帳を一々購入して御朱印を必ずいただくことも一つのモチベーションにもなっていた。

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 私は「お参り」という目的をすっ飛ばしてただただ御朱印が欲しいだけだろうと、「スタンプラリー」と勘違いしてても、それは信仰に触れる大切な機会だと思っている。

 私は東北観音霊場以外でも多くの寺社で御朱印を頂いた経験がありますので、御朱印にまつわる色々な経験があります。

 時には「御朱印はうちやってないんで」と不機嫌に断られることもあります。また「御朱印の意味わかってますか?」なんて叱られたこともありました。

 そして、私が仏教の修行をするずっと前に、あるお寺に参拝したときのことです。

御朱印が頂きたいのですが」

 そう私が寺務所を訪ねると……

「是非、ご本堂に上がって観音さまにお願いしていってください。私は外に出てますから声に出して一番叶えてほしいことをお願いするといいですよ」

 そういってご住職から寺務所から本堂に案内され、燈明、線香に火をともしてくださり、住職はスッと本堂を後にしてしまいました。

 一人になった私は言われるままに声を出して、観音様にお願いをしました。

 ほどなくするとご住職が入ってこられて「さあ、こちらへどうぞ」と小さな書斎のような場所に通されました。

 そこには、今摺っていたであろう硯と摺りかけの墨が置いてありました。

 そして私の目の前で、摺ったばかりの墨で私の御朱印帳に『南無観世音』と書き入れ、その後、朱を押す際ご住職は「南無観世音、南無観世音、南無観世音……」と何度か唱えた後、厳かに朱を押してくださいました。私はその瞬間、無意識に両の手が合わさり、また感激のあまり込み上げあるものがありました。

「観音様にお願い事はされましたか?」

 それから、そうご住職ににこやかに尋ねられました。

 私は「はい」と首肯すると、最後にこう申されていました。
 「それは良かったですね。ここの観音さま必ず願い事を叶えてくれますよ」

 私はとても嬉しくて、この言葉を聞いた後首を垂れて、しばらく上げることができなくなりました。

 私にとってこの御朱印だけは特別なものになりました。だから綴りから外して額に入れ拝むようになりました。

 もしかするとこの当時の私も多くの御朱印収集家と同じく「もらえればいい」という程度の感覚しか持ち合わせていなかったかもしれません。

 ほんの数分の出来事だったと思います。

 でもこの数分で、このご住職に頂いたたった一枚の御朱印で、今まで経験したことのない「観音信仰」に触れることができました。

 だから、冒頭で書いたように御朱印を寺社側が参拝者に向けて批判することに関しては、「いや、それは違うのでは?」と思ってしまう。

 立った一枚の御朱印だけでも信仰に導くことができる……そんな経験があるからこそ「せっかく参詣にきた方」に「分かってないな」と批判してしまう態度は私はとるまいと思っています。

 この経験は、私にとっては未だに忘れれない、そして忘れてはいけない大切なご縁として心に深く刻まれている。

 

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