准胝院のブログ

八王子市で准胝仏母を本尊とする天台寺門宗祈願寺院「准胝院」のブログです。准胝仏母祈願、不動明王祈願、人型加持(当病平癒)、先祖供養(光明供)、願いを叶える祈願(多羅菩薩)、荼枳尼天尊(稲荷)の増益祈願等

月をかかげる朱雀像

 先日記事にした「夢の話」をしてみたいと思います。わざわざ記事にするということは「少し不思議な話」ということになるのですが、こういう不思議な夢を見たり話したりするときには個人的にいくつか「注意しなければならないことがあるよね」と思っている。
 その時ポイントになるのはこれは「夢」であってそれ以上でもそれ以外でもないということ。だから私は「夢」ということを飛び越えて「それ以上の意味」を見出すことはあまり賛成しない。具体的には「予知」だとか「お告げ」だとか。それはその先に待っている「自我肥大」(簡単に言うと「私は選ばれしもの」「私は能力者」など)を起こして自分が偉くなったような勘違い(自我肥大)してしまう危険があるからだ。
 ただ私の場合「夢」の解釈に関しては一般の人とは少し「違う」解釈をしているので「夢=ただの記憶の残像」という身もふたもない話で終わらせるつもりもない。
 具体的には「夢は無意識の入り口」と解釈するので、普段は意識できない有用な情報がその夢に含まれていると考える。

 その多くは私個人の「記憶」がベースになっているはずだが、時に自分の記憶以外の情報が入る可能性も私は否定していません。ユング心理学的な表現を使えば集合無意識、普遍的無意識は個を超えて他人と繋がっているという解釈。ちょうど先日最終巻が発売された進撃の巨人のエルディア人が道で繋がってるのと同じ解釈です(笑)

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 つまり見た夢を「夢ではなく予知!お告げだ!」といったように「夢ではなく神秘体験だ」と解釈してしまうことと「夢は神秘体験が混ざりこむ可能性がある」という微妙な解釈の違いです。もちろん私は後者のスタンスです。
 だから冒頭に戻りますが、その夢を解釈するときは「概ね個人的な記憶の断片」で構成されている夢だが、中には検討するに値するかもしれない情報もある」という謙虚な姿勢で夢と向き合うのが大事かなと。

 さて前置きが長くなりましたが、夢の話にいきましょう。アマチュア(自称)小説家らしくストーリー仕立てで記してみます(笑)

「これどう思います?」
 私は鳥居をくぐって高い階段の中ほどまで来たところで、白いワンピースを着た若い女性にそう話しかけられた。
 見ると女性はまだ続く階段の途中にあった「中門」を指さして呆れ顔をしていた。
「えっと、何か祭りの準備がされてるんですかね?」
 私はその中門が綺麗に荘厳されているのを見て、きっと近いうちにこの寺で祭りがあるのだろうとボンヤリ想像した。
「そうなの、でもね……これじゃ駄目よね」
 その女性は腕組みをしてなんとも機嫌が悪そうだった。
 するとその女性は私に顔を近づけ、指を中門の上にある「空」に向けた。
「指の先に何が見える?」
 私は言われるままに女性が指した指の先を見た。

 するとちょうどそこには白昼の「三日月」が見える。私の立ち位置からだと階段途中まで来てこの中門を見上げるとその上の空中央に白い三日月。なんとも美しい構図だった。
「分かるでしょ?」
 女性は挑む様な笑顔でそういった。
「あの月がなんか祭りと関係があるってこと?」
 私はその女性に尋ねた。
「決まってるじゃない?だからこの飾りつけ、全く意味ないでしょ?」
 まあ飾らないよりはいいと思うが、この女性にはどうやらこの荘厳には頗る不満らしい。
「あなたもう一回、月を見てもらえる?」
「あ、はい」
私はそう言われてもう一度顔を上げて月をみる。
「何か足らないの、分かる?」
女性は私の顔の横まで顔を寄せながら目線を合わせて、また指で月を指し、一緒に指の先にある月をもう一度みた。
「この門の上に何かお像を置いて月を迎えるような構図にするんじゃないかな?」
私は直感的に思ったことを口にした。
「そう!それよ!」
女性は私の肩を強く叩きながら異様にテンションが上がっていた。
「本堂の先に奥の院があるの。そこにそのお像があるから持ってきましょう」
女性がそんな提案をする。
「そんなこと勝手にやっていいの?」
「大丈夫。この寺は無人で、檀家が有志で祭りをしているだけだから。でも一応総代にだけは話し通しておきましょうか」
 そもそもこの女性はいったい何者なのだろうか?この寺の管理人?檀家の方?……なぞは残るがこの女性のあとをついて聞きながら本堂で祭りの準備をしている総代に話を聞いた。

 総代は年配の男性で、とても明るい気のいい方だった。その女性の提案に対して「好きにやってくれ」と快く承諾してくれた。

 私とその女性はその足で奥の院に向かった。
 確かに小さなうっそうと背の高い木が生える小さなスペースに割と大きな「お堂」があった。これが奥の院なのか?あまり管理されていな感じのするお堂に少し不安になる。

 私とその女性はそのお堂に入ると、案の定、しばらく人が入っていないのか中は埃だらけ、破損だらけで、なんとも荒んだ感じが酷かった。
「ここにそのお像があるの?」
 私は少し不快になってきた。そんな意味のあるお像があるように思えない。この感じだと毎年のお祀りにそのお像をここから取り出していないのは明らかだった。
「あるわよ……あそこ見て」
 そう言って女性が指を指した先に白い布で包まれたいくつかの「塊」が目に入った。大きさは50cm程度だろうか?傍にいくとその塊は4つほどある。
「これがそうなの?」
私は半信半疑でその「塊」を指さした。
「そうよ。この中からお祀りするお像を探して」
「え?探してって、私が探すの?」
「そうよ。だからあなたに声かけたんだから」
なんとも強引な感じだが、私はとりあえずその塊に巻いてある白い布を外しにかかる。

 布を外してみるとそこには確かに4体のお像があった。どれも見たことがない。つまり私が良く知る仏像、神像ではない。非常に古いものだと分かる。見ればどれも「動物」がモチーフになっておりいかにも「太古の山の神様」と感じた(もののけ姫の影響?(笑))
「ねえ、どれだかわかるでしょ?」
 その女性はキラキラと期待を込めた目で私を見つめていた。
 いやいや、わかるでしょって、知らんがな……というのが本音だったが、それでも四体のお像をじっくり観察した。一体一体見つめていると最後の一体、つまり一番右に置いてあった「鳥」をモチーフにしたお像を前にしたときに、さっき見た「中門の上の月」の映像が思い出され、「ああ、この鳥だ」と直感的に分かった。
「このお像だね」
私は妙に確信めいてその女性に言った。
「そう!そのとおり!やっぱりわかったのね」
女性はそう言って嬉しそうだが、……結局この女性、最初から知ってたんじゃん?私、試された感じ?
 でも確かにこの赤い朱雀のような鳥が嘴を天に向けている姿。その嘴の先にさっきみた三日月が乗るような位置に安置するのが確かに正解だと感じていた。
 そのお像は古いお像だったが赤い朱の色がとても印象的だったと今でも覚えている。

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 私と女性はさっきいた中門までお像を抱えて戻っていった。

 その途中で女性が妙なことを話し始めた。
「あなた、お坊さん?」
「あ、まあ一応僧籍はあるけど」
「あのお寺に入ったら?」
「え?だって本堂しかないでしょ?どうやって暮らすの?」
「あの本堂の向こうに庫裡があるから大丈夫よ?」
確かに遠目に二階だけの家屋が見えた。
「でも誰か住んでそうだけど」
「そう、あなたがあの家に入るのよ。」
「いやいや、家族もいるし……無理だよ」
 私はいきなりの提案に驚いたが、現実的に考えて無理なのでそう言って断った。いちおう夢ということに気づいていないので現実世界と思い込んでいるから当然の回答だと思う。
 すると私の答を聞いた女性はひどく残念そうに、というよりもとても落ち込んだ様子で一言呟いた。
「そう、それは残念ね」
そう一言残した女性はそのままスッと消えてしまった。
「え!?」
何が起こったのか分からず、女性の姿を確認すべくきょろきょろ辺りを見回したところで目が覚めた。

「夢か」

あまりにリアルだったので思わずそうひとこと漏れた。

 以上です。どうでしょう?なかなか興味深くないですか!?「ただの夢」かもしれませんし、神秘的な要素が混じっている可能性もあるのでじっくり心にとめておきたいとおもうのでした。

 くどいですが「夢」であってそれ以上でもそれ以下でもない。しかし、たかが夢、されど夢です!(笑)

 

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