「尼僧・漫画家の悟東あすかさんの話ではご神仏を描くと、ご神仏から色々と描き方に注文が入るらしく……」とコメントで教えていただいた。
これに関しては「あ、わかるな」と思った。
私レベルが何言うぞ?と思われるかもしれないが、神仏相手だ、個人的には「そりゃそうなるでしょ?」という理解をしている。
精神分析学に「失錯行為」という概念がある。
これは自分が意図しない「言い間違え」「見間違え」「行動」をとってしまうこと。むしろ自分の意志とは正反対のことを「うっかり」やってしまうとき。こんな時は精神分析学は意識に抗おうとする「無意識の声」の存在を指摘する。
私は馬頭観音像の修繕をやっていた時に、この「失錯行為」を何度も経験した。具体的には、「彫り損ねる」ということが起きた後によくよく調べると「間違った形」をつくろうとしていたということが何度も起きた。
時にこのブログでも紹介したように「夢」でそれを訴えてくることもあった。
これも神仏の声なのか、私の忘れていた無意識の情報が「失錯行為」や「夢」として表にでてきたのかもしれない。
しかし、無意識のその先に神仏が繋がっているとするなら、わずかでも神仏の「声」を拾っている可能性もゼロではないと考えている。
私は仏像修繕をするときは必ず「本堂」で行い、修繕途中のお像も関らず本堂に安置しておく。修繕中とはいえ神仏の身体に「刃」を入れることもあるので自分の中の最低限の「決まり事」としてそうしている(あくまで個人の決まり事)。
必然的に行中はその修繕中のお像も眼中に入る訳で、そんなときにふと「○○をこうせよ」というイメージがふと湧き上がることもある。こんな時はそれが無意識の声だろうと関係ない。私はそれについては鵜呑みにすることはしなくともしっかり調べて修繕に反映しようとしている。
そう言えば上述した馬頭観音の「舟形光背」だが、完成後「やり直し」のメッセージを貰ったような気がしたので現在修繕し直しています(汗)
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