密教に登場する神仏の尊格はあまりに膨大でなかなか全ての尊格のことを詳しく知っておくことは難しい。
だから私の中の最低限のルールとして自分がお迎えした仏像の「尊格」については掘り下げて詳しく調べるようにしている。ただそれは「ルール」といっても「義務感」からではなくてむしろ「自分にご縁のあった尊格」という意味で、興味を抑えきれずディープにディープにそれを調べてしまうというのが本音。
また将来的にそのご尊格で祈祷をするとなれば、その尊格のことをより知っていれば祈祷の応用の幅も広がるのでは?とも考えている。
さて、もう一つ。
私がお像を迎えた時にやることは「過去の記憶をたどる」ということ。深層心理学者のユングはその人にとって重要なエピソードは幼少期に出そろっているといいます。
だからきっと幼少期を辿ればどこかに「ご縁」がすでに結ばれていたのでは?なんて想像を巡らすのは自分の信仰を確かめる意味でも興味深い試みだと思いっている。
昨日の記事の通り「倶利伽羅龍王さま」のお像にお越しいただいた。
記憶をたどると、私の幼少期の遊び場の一つに「東村山市」の「秋津神社」があった。
物心ついたころから神社境内で遊びまわったこの秋津神社。その神社のことを調べてみると、主祭神は「日本武尊」とあるが、実際に本殿に祀られれているのが江戸時代初期の「不動明王」の石仏だった。例によって明治政府の神仏分離で祭神が日本武尊に改められ、現社名に改称されたようなのだ……そこにまだお不動さんのお像がまつられているのに……なんともなあ。
明治以前には「秋津の不動」と呼ばれ地域で信仰されていたそうである。
さて、その境内を紹介しているサイトがあったので写真リンクします。
「寛延三庚午年九月吉日 武州多麻郡 下秋津村」と彫られているそうなので1750年江戸初期ですから、この石仏も本尊と同時期に作られたのでしょうか。
それほど大きな境内ではありません。
むろん子供の頃間違いなくこの「石仏」を何度も見ていたはずです。
拝んだこともあるかもしれません。
「あの頃からご縁があったのだ」
私の中ではそう合点がいきました。
そういえば昔、自転車の「補助」を外して始めて乗れた場所がここだった。父親に自転車の後ろから支えてもらいながらペダルを漕ぎ、父親が手を放してからフラフラと一人で自転車を走らせて喜んだ記憶が蘇る。
あの時、後ろから龍王さまが押してくれてたのかな?なんて想像しながら自分の中での「ご縁の歴史」「ご縁の長さ」をしっかり心に刻み込む。自己暗示かもしれないけど、やり方はきっと間違っていない。
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