先の記事で宣言した通り?井上靖の小説『補陀落渡海記』読みました。
とても短い短編でしたが、とても考えさせられる奥の深い作品でした。
この作品のポイントはスバリ!「自己認識」と「他者認識」との乖離だと思いました。
そう言っても「はあ?」という感じだと思うので(笑)、少しだけこの小説のレビューをしてみようと思います。
きっと皆さんの身近でも起こりうる話だと思います。
この小説の主人公は戦国時代の「金光坊」という実在の僧侶の話です。
この金光坊は若くしてこの物語の舞台、補陀落渡海の総本山である「補陀落山寺」に入ります。
金光坊は若い修業時代に「補陀落渡海」に出る上人を何人も見送ることを経験します。そこで彼は、その捨身行である「渡海」に挑む上人の考え、立ち振る舞いを見ては「僧としてすごい境地に達した方」として尊敬の念を抱きます。
そして、歳を重ねいざ自分がいよいよ「渡海」に挑むことになった時、過去自分が見送った上人のような境地にはとても達していないことに金光坊は悩みます。
それから過去「渡海」に挑んだ上人たちの顔が頭から離れなくなり、それを追い払おうと毎日読経に逃げ、日に日に追い込まれた金光坊はどんどん精神的に衰弱していきます。
そんな「渡海」に挑む金光坊には身の回りのサポートをする若い弟子が付き従っています。
「金光坊」は過去の渡海上人のようになれないまま、いよいよ渡海に出ます。しかし「金光坊」は途中で屋形から脱出して付近の島に逃れます。
ただ結局捕らえられて、すでに衰弱していた「金光坊」は抗うこともできずまた海に戻されてしまいます。
この話は実話で、これ以降「生きたまま海に出る」ということがなくなり住職などの遺体を渡海船に載せて水葬するという形に変化したようです。
そして前回のブログでも紹介したこの言葉。
これは付近の島でとらえられた時、すでに衰弱して声も出せない中で付き従っていた弟子に筆談で送った言葉です。
蓬莱身(宮)裡十二樓 唯心浄土己心弥陀
求観音者 不心補陀 求補陀者 不心海
この言葉が補陀落渡海に対して「前向きの言葉」なのか「否定の言葉」なのかかみさんに聞かれてネットで調べたという話を先の記事で書きました。
その時に調べた「訳」は以下のようで明らかに「金光坊」は否定的な意見をしていることが伺えます。
『蓬莱宮には十二の楼閣(熊野十二社)があり,〔ここでは〕唯心(ゆいしん)の浄土,己心(こしん)の弥陀こそ第一としている。〔ここにおればよいものを,それにも関わらず〕観音様の浄土である補陀落山を求める者には,その心に補陀がなく(浄土もない),補陀を求める者には,その心に海がない(弥陀もない,航海の途中で死んでしまうことを考えようともしない)。〔そのような者が海を渡って補陀落山に行く意味も資格もない〕』
小説を読んでみても、この解釈は「金光坊」の本音だったと思います。しかし、弟子はきっと違う解釈つまり、肯定的にこの言葉を解釈してように感じました。
この物語は「先に渡海した上人―金光坊」「金光坊―弟子」という関係性が意図的に「対比」できるように書かれています。
「金光坊」は船から脱出して「助けてくれ」とまで言う失態までおかし、それが原因で「もう生きたままの渡海はやめにしよう」というきっかけにもなった訳です。しかし、「金光坊」に付き従っていた弟子がこの後、最後の「渡会上人」になった、ところで物語が終わります。
「なんで金光坊の失態を見て、なおかつネガティブな言葉まで書き取ったこの弟子は渡海を選んだのか?」という疑問を誰もが持つようなエンディングになっています。
これはおそらく金光坊が上人たちを敬ったように、実は思い悩む金光坊の本心を知らない弟子は、あくまで傍で金光坊の立ち振る舞いを見て、金光坊が以前上人たちに感じた「尊敬の念」を同じように感じていたということを暗示しているだと思いました。
そうなると「金光坊」が先に渡海した上人に感じていた尊敬の念も「金光坊」が感じていただけで渡海した上人たちはも実は金光坊のように動揺し、心ここにあらずだったかもしれないということも著者は暗示させたのだろうと思います。
だから冒頭で書いたこの小説に出てくる僧侶たちは「自己認識」と「他者認識」とに乖離があったということろがこの小説のポイントなんだと私は感じました。
だから「私はダメだ」「全然修業が足りてない」と「自己認識」していても、それを周りで見ている人が必ずしも同じ見方をしているとは限らないということなんだろうなということを思いました。
まあ心理学を勉強すればこういった話はよく出てくるのですが、小説でリアルに描写れているものを読むと、より現実味を帯びていろいろと感じることがありました。
ぜひ、皆さんも読んでみてください。いろいろ考えさせらますよ(^^)
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