まずは八大龍王参考リンク↓
准胝仏母の眷属であるこの龍王、我が道場のご本尊にはない。准胝道場なのに、このままではいけないと思っている。
ただ.本尊の大きさが1m以上あるので、これにあったお像を探すなんてまず不可能。
注文で作るという選択肢もあるが、個人的な「決めごと」としてよほどの理由がない限りお像は自作すると決めた。
だからとても難しいとは思うが、「難陀龍王 跋難陀龍王」の作成にそろそろとりかかろうと思う。
准胝尊の眷属としての「難陀龍王 跋難陀龍王」は儀軌にある通り、准胝尊が坐する蓮華台を下から支える構図になっている。
準提佛母観世音菩薩勤行式(藤井文政堂編)より引用
ただ我が道場の本尊は金属製故に重量が50kg以上。一人では運べない程の重さだ。だから「このお像を支える像」というのは難しい。だから私としては脇侍として置く配置にしようと思っている。
しかし本尊の大きさにあう、それなりのサイズは必要であろう。
さて、この「難陀龍王 跋難陀龍王」だが、そのお姿は全く一つではなく幾つかの容姿が存在する。大きく分けると「龍そのもの」のお姿か↓男神が龍を纏った形」のお姿だ↓
準提佛母観世音菩薩勤行式(藤井文政堂編)より引用
この違いについて、正解でどちらが不正解ということではないと思う。儀軌には「難陀龍王 跋難陀龍王」の容姿についての細かい指示はないと聞く。淵源的には龍そのものの姿だったものが、どこかで男神像になったものと思われる。
しかし日本でよく見る中国の官人風な容姿は「なぜなのか?」はよく分かっていないらしい。一説によれば、善女龍王(ぜんにょりゅうおう)の表記が「善如龍王」されたとき龍女の姿が官人の姿で表現されるので、その影響とも言われる。
ただ学者ではなく宗教家としては「どちらが正しい」という議論に拘泥しても仕方ないので、少し違った切り口でこのことを考えてみたい。
実はこれについては全く難しく考える必要はなくて「龍そそのもだったらどう感じる?」「人に近いい男神の姿だったらどう感じる?」と自分に問えばすぐに答は見つかりそうだ。
「龍」の姿なら「動物的」ゆえに御するのは、難しそうだとか、人に近しい姿ならこちらの想いが伝わり易そうだとか、龍の姿の方が自然の力をダイレクトに動かせそうでパワフルに違いないとか、人に近しい姿なら我々が御する手前で先に龍を制御してくれそうだ……etc
思いつくままにいくつか書いてみました、皆さんも概ねそんな感想が出たのではないでしょうか?
ここからは個人的な見解です。私は「難陀龍王 跋難陀龍王」が天部尊として他尊の眷属ではなくダイレクトに関わるなら「人間に近しい天王形」の方が「拝みやすい」ように感じます。もちろんダイレクトに龍と対峙できる優れた行者さまもいると思いますが……。
しかし准胝尊の眷属としてなら……本尊という絶大な指揮官がいるので、常に本尊経由で通じていれば暴走するようなことは起きないと思うので「龍そのもののお姿」でも十分対応できるだろうし、むしろ龍のもつ大自然力を感じやすい気がします。
ちなみに一時期、師僧の信者さまで准胝尊を自宅に勧請する方が続いたことがあった。その時師僧が用意したお像の眷属は全て「官人の姿」をした天王形であったのは、行者ではなく一般信者さんゆえにという配慮もあったのかな?なんて今では想像している。
ということで、ここまでの話の流れで行くと私が作るべきは「龍そのもの」のお姿の龍王を選ぶべきだと思うのですが……龍を作るって難易度高いんので「そもそも作れない」では話にならない。それに頭の中のイメージは実は三十三間堂の二十八部衆の一尊として有名な、あの「イケメン」なお姿なんですよね。
最終的にはどちらのパターンもお祀りするという選択肢もあるのか?とも思っている。願意によって感応しやすい容姿とかもあるかもしれないし……
もう少しな悩んでみます。
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