「廻り明神(まわりみょうじん)」という信仰を聞いたことありますか?
私はたまたまNHKの番組「新日本風土記」で紹介されている映像をみて知りました。
※新日本風土記番組リンク
「廻り明神(まわりみょうじん)」番組アーカイブリンク
「廻り明神(まわりみょうじん)」についての解説を以下に引用します。
『奈良市東部の大柳生町(おおやぎゅうちょう)。400年前から続く「廻り明神(まわりみょうじん)」は、集落の人たちが、地元の氏神様を1年交替で自宅に預かるという習わしです。集落の年配者から順に預かりますが、家族に不幸がなく健康なことなど、条件が揃わなければこの大役は任されません』
『「明神さん」になると、ご神体の黒箱を奥座敷の高所に飾り、1年間厳格なしきたりを守る必要があります。明神さんは、ご神体のある部屋で1年間寝起きし、外泊はできませんし、女性が部屋に入ることもできません。毎月1の付く日には、午前6時から白装束に袴姿で御神酒で清めた榊の葉を口にして無言で山口神社へお参りします。また、家族も含めて1年間、牛肉・豚肉やネギ類などを食べず精進潔斎します』
私はこの信仰の形態を知った時、すばらしい信仰形態だと感動しました。
「明神さま」をまさに勤め上げ、明神さまの交代がまじかに迫った方がこんなことを言っていた。
「最初は、大変だと思った。でも最後は、自分の家から神様が離れて行くことが寂しくなる。先代が明神さまの交代の時、涙を流していたことが不思議に思えたが、今にして思えばその気持ちがよく分かる」
一年間、自宅が「お宮」になり、それをその家の長と家族が「氏神の守り役」としてその大役を務めあげる。ただ近所の「お宮」に初詣をするだけという地域が多い中、一年間もの間、氏神さまにお仕えする家が毎年順番に回るというのは「強い信仰」がその村に残ってしかるべしだと思った。
我々仏教徒も、信仰が進むと「仏像を自宅にお迎えしたい」と思う気持ちが芽生える人が多くいます。
「仏像をお迎えする」とはつまり上述した「廻り明神(まわりみょうじん)」の風習で氏神さまを自宅にお招きすることと全く同義だと思います。
その風習では上に引用したような「厳しい」行とも言えるような生活を強いられます。それはそこまで神仏をお迎えするということは「簡単なことではない」ということだと思います。
私も信仰を始めて割と早い段階で「仏像をお迎え」していました。決して軽々しく考えていたわけではありませんが、それでも「廻り明神(まわりみょうじん)」の風習を目の当たりにすれば当時はまだまだ認識が「甘かった」と反省せざるを得ません。
この現代でも生き続ける……つまり長い時間に耐えてきた「信仰の形」は強い力がある。それらの多く知ることは、とても勉強になる。
だから、そんな全国の「信仰」を紹介する「新日本風土記」を見るたびに自分の信仰の至らなさを痛感し、また軌道修正するための大切な道しるべにもなる。
これからも視野を広げて、沢山の「生きた信仰」を参考にしていくべきだと強く思った。
記事が参考になったら
クリック↓お願いします!