昔、本格的な修行に入る前に、一信者としてブログを書いていた時に、よく「荼枳尼天さま」との会話形式のやり取りを記事にてしていたことがある。
今では記事を書くことにも慎重になり、僧侶、今では住職としての責任もあるので前ほどに「なんでもあり」という記事は避けている。
だからその当時のような「荼枳尼天との会話」なんてことはおいそれと記事にはしない。
ではなぜ今になって、わざわざ当時の話題を持ち出したのか?
つい先日、それを思い出すエピソードがあったのだ。
ある熱心な信者さん。この方は元々准胝仏母を強く信仰する方だが、先に当院の荼枳尼天の御影を開眼して授与させていただいたことがあった。
以来、山城屋文政堂の「荼枳尼天尊稲荷大明神礼拝次第」で荼枳尼天をよく拝まれているらしい。すばらしいですね(^^)
その方が先日の荼枳尼天の記事をご覧になって(↓)
荼枳尼天さまからメッセージを貰ったような気がしたと報告してくださった。思い込みが強く安易に「神仏の声が聞こえましたあ!」という困った人も多いが、この方はそういった方ではない。
だから「はは、なるほどね」と興味深く思った。
理由は、「この荼枳尼天さんはよくしゃべる」ことを私が良く知っていたからだ。冒頭に書いたように、このお方を拝むと色々メッセージが飛んでくる。冒頭で書いたように昔のブログではそのまんま記事で書いていた。ただ、今はそんなことを私が書くと怪しいスピリチャルな人に思われるので書いていないというのは上述した通り。
私の感想では准胝仏母の信仰という土台があり、かつ真面目に荼枳尼天さまも拝んでいるいればそんなこともあるだろうな、と思う(当院の荼枳尼天様の場合)。ただ、むろんそう言った「不思議」に安易に傾倒し過ぎるのは良くないとは思うが、ある程度、信仰のモチベーションにするのはいいように思う。
要はバランス感覚。
それにしても「なるほど、他でも色々話してんだ」と思うとついつい嬉しくなった。
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