私がお迎えしたはじめてのお像はこのお方。
まだ師僧にお会いする以前だから相当前です。
むろん得度すらしていない一信者だったが、覚悟を決めてお像をお迎えしたのを覚えている。
このお像はオークションでたまたま見つけたお像。「般若仏母」というタイトルで出品されていたが、当時はそれが「間違い」であることにも気づかず落札した。
私はその時「般若仏母」をお迎えしたかったのか?
むろん違います。ではなぜこのお像を選んだのか?
理由は「このお像をどうしてもお迎えしたかった」という説明以外に思いつかない。
なんともいい加減に思えるが、私にとっては、「これだ」と確信めいたものがあった。
その後、このお像はチベット様式の「四臂観音」だろうと結論付けた。しかしチベット様式の四臂観音は明確に男尊として作られるが、どうみてもこのお像は女尊なのがおかしい。さらに観音が「三目」であることも明らかにおかしいし、頭に化仏ではなく五智宝冠なのもおかしい。
ずっとそのことが疑問だったが、その後の調べで、この像はチベットで最も好まれる真言「オン・マニ・パドメ―・フーム」を説いた観音様のお経「仏説大乗荘厳宝王経(通称:カーランダ・ビューハ)」に登場する「六字大明」という女尊であろうと考察するに至る。
そのことを記事にしたこともあったので参照ください。
https://ryona.hatenadiary.jp/entry/2020/07/12/231036
この時点で、この六字大明が准胝仏母と深い関係にあることが明確になっていた。何も知らずにお迎えした「見知らぬお像」がなんと当院のご本尊になる准胝仏母と深い関係にあったという偶然に鳥肌がたった。
しかし、話はこれで終わらなかった。
なんとここにきて、そもそもこの四臂像が「准胝仏母」だった可能性が浮上してきたのだ。
「さすがにそれは出来すぎでは?」
と思われると思うが、割とがガチな話だ。
当院のご本尊である准胝仏母然り、日本で准胝仏母と言えば十八の腕(十八臂)であることはご存知の通り。
ただ、よくよく調べてみると准胝仏母には二種類のお姿が存在する。
そのもう一つのお姿は四臂像。
そして本家本元のインドではむしろ四臂の出土が圧倒的に多いという。
そして見つけた文献。
『インドで出土する四臂像は、多くの場合、右手に念誦、左手に蓮華を持っている。これは『カーランダ・ビューハ(※仏説大乗荘厳宝王経のこと)』所説の四臂観音に似ており『カーランダ・ビューハ』の影響を指摘する意見もある(オリッサ発現の曼荼羅的構造をもったチュンダー(准提)像について 田中公明)』
(写真:オリッサ発現の曼荼羅的構造をもったチュンダー(准提)像について 田中公明より引用)
上の写真に見られる四臂准胝尊の持物は当院の四臂像と全く同じ。しかも当院と同じく明確な女尊。つまり冒頭の写真にある当院のお像とこの准胝仏母は全く同じお姿であることが分かる。むしろ四臂観音は男尊形であること、さらに三目、五智宝冠でないことを考えると、当院の四臂像は三目、五智宝冠の女尊である准胝仏母とした方が納得がいく。
これには流石に驚いた。
くどい様だが、最初にこの四臂像をお迎えした時はそのお像の名前すら曖昧な状態だったのだ。それがそのお像が「カーランダ・ビューハ」というお経を通じて准胝仏母と繋がり、さらにはそのお像そのものが実はインドで中心的な准胝仏母のお姿だった……。
あまりにできすぎた話。
これだけの偶然が重なれば、いま准胝仏母さまをご本尊とさせていただいていることが必然とつくづく思う。
「なぜ准胝仏母なの?」よく聞かれるが、自身でも明確な説明ができないこともあった。今では声を大にして言える「それが私と准胝仏母さまの御縁だったから」と。
★ご相談はこちらから★
記事が参考になったら
クリック↓お願いします!