昨日の記事で「焔摩天を別の壇に配置した」ことについていくつかコメント頂いたので、もう少し深堀してみようと思います。
仙台宅の配置では下記の通り准胝仏母→四臂観音→焔摩天が段の高さを替えながら行者に近づいてくるという配置でした。
仏部である「准胝仏母」が一番「高く」「遠く」にいて、ついで観音部の「四臂観音」が少し近づき、そして一番行者に近くに「焔摩天」という配置「より人間に近い天部」から「観音部」「仏部」と少しづつ曼荼羅の中央に向かって「離れていく」という構図になっているのは理にかなっていると感じていた。
しかし私が考慮したのが実際に行を行う私との距離感と仏像の大きさだ。大きなお寺の本堂ならいざ知らず、狭い自宅の壇ではおのずとお像との距離はかなり近くなる。
一番大きな准胝仏母(1m20cm)が一番遠くにあるのは全く問題ないのだが、一番近い配置になる焔摩天の75cmは自分との距離を考えるとかなり大きい。つまりどの行をやっていても一番のインパクトで視界に入るのが全て焔摩天というのはどうなのだ?と常々感じていた。
確かに延命の力を発揮する准胝仏母の主要眷属ではるが、本尊を押しのけて前面に出ているのは、「焔摩天供」の本尊で……なら分かるがあくまで准胝仏母の「眷属で」というお立場で動いていただくので、言い方が適当でないかもしれないが「眷属的配置」をすべきでは?と色々悩んだ結果、本尊の准胝仏母とは少し距離を開けるという選択をしました。
ただ、実は75cmの焔摩天像の他に、後期密教様式の「焔摩天」の金銅佛を焔摩天開眼の際に拝受したものがあるんです。
この像は10cm位の小さなお像なので四臂観音の前に置くことで准胝仏母→四臂観音→焔摩天という縦の配置を継承しています。
また、焔摩天の壇にはタンカの准胝仏母を正面に掛けているので「本尊から離れた」という意識は起こりにくい工夫もしています。このタンカは実は私が信者時代に初めて開眼していただいた准胝仏母のタンカです。信者時代はもっぱらこのタンカを本尊にしていたので個人的にはかなり思い入れのあるタンカでもあります。
では、今日はここまで。
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