「謙虚」という言葉は、時に正義であり、時に悪になるという話
私は一般企業の社員としては、おそらく今でも全く謙虚ではない。
「あいつ、なんなん?ガツガツしすぎだろ?」
と陰口を言われるくらいに私は自己アピールが過ぎる。
でもこれは「意識的に」そうしているので、そんな陰口は全く気にしないし、全てのサラリーマンがそうとは言わないが、黙っていても、重要な仕事を回してくれるほど会社はお人よしではない。だからそうしている。
強烈にアピールするからこそ「あいつにやらせてみるか」となるのだ。時に自分の能力以上の仕事が来て苦労するリスクもあるが、またそれが自分の能力を超えた経験となるからプラスでしかない。
逆に謙虚で大人しくしていても決してこのような経験はできないから、成長もできないとうことになる。
ただ、仏教の「行」という場面では、全くこれは当てはまらず、真逆の論理があると思っている。
私が中国武術を習っていた時の話。中国武術も伝統を伝えるという意味で仏教(特に密教)との共通点は多いと感じている。
その中国武術の道場では、どんなに他流を経験してきたとしても「俺は経験者だから先を教えてくれ」なんて言おうものなら即破門されるほどに厳しいところでした。
また、独学もダメ。習ってもいないものを先輩の見よう見まねで真似してもダメ。師匠がその人のタイミグを見て教授するのがとにかく絶対。それが「師を信用する」ということと習います。
これは仏教の師弟関係でも同じだと今では感じている。
冒頭で書いた仕事のようにいくらアピールしたところで、どんどん新しい行を伝授されるなんてことはまず、まず、まずあり得ない。
それは師の「見立て」を信じないで「俺はもっと先を習うべきだ」と主張しているのと同義。言い方を替えれば師を信用していないのと同義。
なのに時に「私はもう他でこれこれをやってきたので」とアピールしてしまう人は割といる。
まあ、そうはいっても……
私も偉そうに書いていますが、私も最初の頃はサラリーマンの癖が抜けず随分アピールしていたように思う。
今思い返しても身の縮む思いだ(^^;
自戒の意味も込めて改めて記事にしてみました。
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