師僧より拝受したお像
さて、このお像はなんでしょうか?
答えは「ガルーダ」です。
日本の仏教では「迦楼羅天」となりますが、おそらくこのお像自体が日本のものではないと思われます。
(少し解せないのは女尊であること……これについてはもう少し深追いします)
いかなるお像もそうですが、「自分の手元に来た」ということは、そこに自身との「縁」を考える。このブログで何度も「そういった」話を書いていますね。
「自分と縁があるお像」ならば、やるべきことは?
私は、まずそのお像のことを「よく知る」という作業をする。
その神様に興味も湧かず、意味も分からずただ壇に安置しても、せっかく来ていただいた神さまに失礼と思ってしまうのだ。
「でも、見たところそのお像は仏像=礼拝対象といよりは調度品なんじゃないの?」という方もいるかもしれない。
「調度品」と思う人にとっては「調度品」だろうが、「神像」としてお迎えすればそれは「神像」なのだ。
私はそういうものだ、と思っている。
さて、実は「迦楼羅天」については、以前何度か記事にしている。
つまり、自分の中に既に「縁」を感じていた神ともいえる。
ただ、このタイミングでお像がいらしたということは……
「もう少し調べよ」
というメッセージだと受け取ってみる。
今回、得た新情報は以下の通り
①「食らう」の意味をもつ「ガルダ」の音写が「迦楼羅天」。「スパルナ=美しき翼をもつもの」の漢訳が「金翅鳥」。
②マハーバーラタのガルーダの物語は「話すだけ」で功徳ががある。
『何人であろうとも,この物語を聞く人、又,最上のバラモンの集会で話をする人、そういう功徳を積んだ人は、常に、疑いもなく天界に赴くであろ』
(参考)ガルーダの話、概略
『ガルダが、母親ヴィナターを龍族の姉カドルーから解放するために、天界へ甘露を取りに行くところから始まる。その後、天界でインドラやヴィシュヌと戦い、和解し、最終的に母親を隷属から開放し、姉の種族であった龍を常食とするようになる』
※これは般若経や法華経のように「読誦」自体に「功徳」があるという意味で興味深いですね。むろんマハーバーラタを読誦することはないと思いますが、ガルーダを信仰対象とするならガルーダが登場する話を聴くだけで「功徳がある」というのはとてもプラスの情報です。
③最初(紀元前)のガルーダは「オウム」や「孔雀」の姿だった。
オウム=高い知性。孔雀=猛毒の蛇を食らう鳥(解毒)の属性があったとされる。
※先の記事で紹介した迦楼羅天の姿は「龍」を踏みつけ、龍を鷲掴みする姿が印象的であったが、故に迦楼羅天は「龍の天敵」という属性を持つが、その淵源には「ナーガ」を食らう「孔雀」の持つ力が暗示されているのかもしれない。
④ガルーダは天下御免の霊鳥?
以下、興味深い記事があったので引用します。
『ガルーダはタイ王国の王室の紋章。タイ国王はラーマ(現在の国王はラーマ九世)、即ち、ヴィシュヌ神という意味。ガルーダはタイのあちこちで、よく見られる。それは、「王室御用立て」という事である。イギリス王室の、ライオンとユニコーンがデザインされた紋章と同じ役割をする。又、公式文書や、通貨の紙幣にも、ガルーダは描かれている。(中略)そればかりか、イスラム教中心のインドネシアでも、国のシンボルとなっている。ガルーダは古来から,ヒンドウー,仏教、イスラム世界を自由に飛び回ってきた、天下御免の幻の神鳥だ』
(引用サイト)
http://shambhalacafe.blogspot.com/2006/11/blog-post_22.html
ヒンドゥー、仏教、イスラムの世界を自由に飛び回るとは、なんとも小気味好いですね。
※世界平和が強く唱えられる昨今、「争わない」シンボルとして「ガルーダ」をより信仰するもの十分「あり」だと思ったのである。
今回は以上ですが、個人的には④の天下御免の話が一番の「発見」でした。
きっとこれからはガルーダの姿をみれば「自由」「平和」を連想することになりそうです。
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