多羅菩薩とは……
多羅菩薩は観音菩薩が「右の瞳より大光明を放ち、光の流出するに随い妙女の形を現じ、すべての衆生が様々な苦しみを安んじ、平等な心ですべての衆生を救済する」と発願し、「一切の慈母」として現れたものである(『仏説大方広曼殊室利経』「観自在菩薩授記品第一」)
このように多羅菩薩は『衆生の苦しみを安んじ』て『平等に救済する』という誓願が中心にある。
また、何度かこのブログでも記しましたが……
『観音菩薩が「自分がいくら修業しても、衆生は苦しみから逃げられない」と悲しんで流した二粒の涙から生まれ、多羅菩薩は「衆生の済度を助ける」と発願したことで、観音菩薩は悲しみを克服した』(『度母本源記』)
つまるところ、衆生救済においては究極の存在ともいえる。
多羅信仰がチベットでの信仰が盛んなのはご存知の通りだが、その理由についてこんな考察を見つけた。
①多羅菩薩は美しく、慈悲のイメージで、密教万神殿の数多く忿怒尊より親和力があった。
②多羅菩薩はすべての衆生が様々な苦しみから救い、平等な心ですべての衆生を救済するため、人々の精神的な拠り所となった。
③多羅信仰はチベットで「民衆の神様」と呼ばれ、複雑な儀軌を必要とせず、人々は彼女の名を念ずるだけで霊験するため、人々に受け入れられやすかった。德吉卓瑪『聖典中的蓮花―度母信仰解析』
日本では「名を念ずるだけ」と聞けば「観音菩薩」だが、チベットで、その役割は「多羅菩薩」であることが興味深い。
さて、我が道場の多羅菩薩は「緑多羅」ということになるが、そのお姿が経典にはどう記されているか今一度紹介したい。
『緑多羅菩薩は慈悲と絶美の象徴。十六歳の少女の様相で、緑の肌を持ち、純潔無垢、一面二臂、慈悲深く美しく、頭髪は半分を纏め頭上に結び、半分はそのまま肩に流し、五仏宝冠を戴く。右足を伸ばし、左足は胡座をかき、蓮花日月輪に座す。右手は右膝に置き、両手の間に青い蓮花を持ち、全身はエメラルドのような緑である(德吉卓瑪:『聖典中的蓮花―度母信仰解析』)』
では「緑多羅菩薩」の「功徳」は?
『緑多羅菩薩は福・寿・財を増し、災難と悩みを解消し、生死輪回の苦しみを止める力を持つ』
個人的には少し意外だったのが、緑多羅は『商売繁盛・利殖・蓄財など、増益法関係に効験あり』とあるように「増益」に強いということ。
ご誓願である「救うことが困難な衆生」を持ち上げるためには「増益」が重要な要素ともいえるのだろうか。
先日より修していた「多羅尊法」の自行も、そろそろ終わります。
その暁には皆様の苦を救済するため多羅菩薩さまにご活躍いただくよう化他の行に移りたいと思います。その際は、「増益」ということも積極的にお願いができるような形にしたいと思っています。
「多羅菩薩さまの祈願」につきましては、後日具体的なお話はさせていただきます。
今日のところはここまで。
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