私が仏教に帰依したのは40代。
随分遅いですね。
でも私にとってはそれが最良のタイミングだったのだと思っています。
人それぞれ役割があるとするなら、仏教への帰依するまでの「娑婆での経験」がきっと、その人にとって必要な経験だったのだ……そう解釈するのが気に入っている。
だから、帰依のタイミングはは修行者の数だけ存在して、そのどれもが「正解」なのだろうと思う。
10代で得度する人だっているだろうし、60代、70代だっているに違いない。
同門の兄弟弟子の過去の経歴を見渡しても様々だ。
そんな環境で私が感じるのは、同じことを修行しても、それまでの経歴、経験で受け取り方は同じではない。
そうであるなら、その修行者が独り立ちして教化するまでになったら、その人から出るものは過去の経験の上に乗っかるので、人それぞれの個性になってアウトプットされるに違いないと思う。
だからこそ、全ての修行者がこの世で必要とされているに違いないと私は思う。
それはきっと
「その人にしか救えない人がいる」
と思うから。
それがたとえ一人でも、私は行をする意義はあるのだと思う。
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