ブログの更新が随分滯ってしまいました。先の記事でも触れましたが体調を崩し、結局会社も三日ほど休みました。
今日は、少し動けるようになったので雪の残る八王子市内で買い物。
それにしても八王子市の昨日の雪は、「あれ?去年東北から東京に引っ越して来たはずだか?ここは東北?」と勘違いするほどの積雪量だった。
さて、先日の初午の日。
荼枳尼天さまを壇の中央に移動して、よく見える場所で拝む。
私はあいにく神仏の「声」が聞こえるような特殊能力者ではない。しかし少なくとも拝んでいるときは、僅かな「違和感」をも見逃さないようアンテナは立てるぐらいのことはしている。
その違和感。
なんだろう?と考える。
ここは違和感という曖昧模糊な「感覚」のままにしても埒が明かない。そんなときは自身の「主観的な雑音」が混じりこむリスクを織り込み済みでその違和感を翻訳してみる。
「手は姿の命。この作りでは駄目だ。作り直せ。」
まあ、私の無意識の感想としてそんなことを思っていた可能性が大なのだが、万が一にでも「天尊の声」が混じり込んでいないとも限らないので、その翻訳内容を無視はしない。
左手の宝珠を持つ手。確かに雑な作りですね。一応言い訳を言っておくとこのお像は、とても小さく御身体自体は5cm程度。その手となると数mmの世界。
作業途中
そういえば、先だって師僧から出来の良い香合仏をいくつか見せて頂いたが細部にわたって緻密に掘られており感嘆したばかりだった。
「手の補修」だけに、何事にも「手は抜かない」というメッセージもあったのだろうと思った。