仙台にいたころ。
ある有名武道道場で不思議な体験をした。
始めてその道場に行ったとき。
「礼(れい)の仕方がいい加減だね」
としょっぱなから注意された。
多くの武道道場では稽古を始める前に、正座をして両手をついて礼をするのが常だ。
その最初の「礼」をいきなり注意された。
私は高校時代から武道をスタートして、途中ブランクはあったものの当時でも30年ほどのキャリアがあったから、最初の最初の「礼」で「注意」を受けたのは心外だった。
でもそんな「不満」は全くの「慢心だった」ことを思い知る。
その場面が印象的だったので以下に詳しく記します。
「もう一度、礼をやってみて」
と言われ私は、「今度こそ」とばかりに丁寧に礼をして見せた。
師範は私の礼を見届けた後に、私の背後に廻った。
そして、おもむろに割と強い力で肩を横から「ぐい」と押した。
私はその力でバランスを崩し、横に手をついて体を支えるしかなかった。
そんな私を見て師範は
「どう?重心が落ちてないの分かる?」と言った。
むろん、私は何を言っているのか分からず「???」となった。
師範は続いて「じゃあ、私が言うように礼をもう一度やってみて」という。
「まず両膝の角度は……手を床に着く順番は……手を着いた両手の角度は……頭を下げる角度は、頭の位置は……」と細かく説明され、私はただただ言われた通りに礼をした。
そしてその礼が終わった後、もう一度、師範は私の背後に廻り先ほどと同じように肩を横から押し込んだ。
すると不思議なことに私は全くバランスを崩すことなくまるで体に根っこが生えたようにピタリと不動のまま微動だにしなくなった。
自分の身体なのに、まるで魔法を掛けられたような感覚になり「あれ?なんだこれは?」となんとも不思議な感じがした。
「これが正しい礼の仕方です。礼が整えば、身体の重心が定まって、身体全体が整うのが分かりましたか?」と師範は言う。
何とも凄い話だ。たった短い「礼」の動作をしただけだ。それなのに身体に起こった変化は劇的なものとなっていた。
以来は私は「礼」をするときはこの師範に習ったことを、どんな場面でもできるようにしている。
さて、このエピソードから何を読み取ることができるのか?
それは「形」の大切さです。
私がやったのはただただ「正しい形」を守っただけ。そこに難しい呼吸法やイメージ力は関与していません。ただただ「動作が正しい」だけです。
日常生活、何をするにも「動作」があります。その動作の精度を上げることは人間としての「精度」が上がるのではなかろうか?
つまり日常が「修行」になると。
おそらく「正しい動作」の効果は皆さんが考えるより絶大です。
また我々密教行者の「行」はどうだろうか?
これもただ「なんとなく」形を繰り返すだけではなく「正しい動作」を意識して精度を高めるという意識は必要であろうと思うのだ。
その「正しい動作」が武道的であることが正しいのかどうかは、むろん議論があると思う。しかし私は「共通する何か」があると思っている派だ。
とういうことで……
たかが「礼」されど「礼」なのだ。
皆さんもできるところから「正しい動作」を心がけましょう!
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