「そのお像(時にはお札)拝みやすいですか?」なんて会話が行者同士、時には信者様でも話されることがある。
お像やお札に「拝みやすい、拝みにくいがあるか!」とこんな話にはピンとこない人も多くいるかもしれない
ただ、長く信仰をしていて、また真面目に神仏に向き合っている人にはそんな感覚が芽生えるという話には私は肯定的だ。
こんな話にピンとこない人のために少し色々考えてみる。
例えば、お像の話でいえば極端な話、大きさが大仏ほどにあるお像と、懐中仏では同じ尊格でも拝んだ時の印象は当然違うし、もと東北在住の私にはなじみのある作者不明の質素なみちのくの民間仏と京都、奈良でみられる有名仏師が作った歴史的な国宝級のお像では同じ尊格でも受ける印象は全く違う。
ただこれらは「印象が違う」というだけで「拝みやすい、拝みにくい」ということはあるにはあるが、恐らくそういった「大きさ、容姿」のことを言っているのではないと思う。
では、何をもって「拝みやすい、拝みにくい」という話になるのだろうか?
これは仏像なら木や石や粘土等を削ってできた「工作物」、お札であれば「文字の書かれた紙、木」である以上の「何か」を感じているということになる。
きっと人間には「仏」を感じるための「何か」がある。むろん私はそれを肯定する。密教を学ぶものなら否定する謂れがあろうはずはないからね。
ただ、それを「感じる」という話にもレベルがあると思っている。
その人の個人的な、「好み」に関するところからその仏の前に座って落ち着く、集中できるという「ぼんやりした」レベルはきっとあるだろう。
もしくはもう少し進んで無意識レベルで、その尊格との縁を感じていることもあるかもしれない。
でも難しく考えずとも、多くの場合は長く信仰を続けて、真摯にお勤めを続けていた方の中にもこういった「感覚」がある程度、経験的に養われているのではないか?そんな気がする。
そんな長く信仰を続けている方が、当院の荼枳尼天札と御影をお迎えして以下のような感想をくださった。豊川稲荷を長く篤く信仰される方の感想なので信用できると私は思っています。
(当院の)御影と祈願札、恐ろしいほどに拝みやすいですね。ご神体は天部の怖さを持っておられるので、お札と言えどもビビっておりましたが安心しました。(中略)心配していた豊川との掛け持ち信仰も上手く役割分担して機能している印象を受けます。
こればかりを期待するのも違うとは思いますが、せっかく熱心にその尊と向かい合うならこういった感覚がわかってくるもの一つの励みになるかな?と思い記事にさせていただきました。
(残り僅かです)
祈願のお申込みについて
本院で承っている祈願につきまして、以下解説ページから。
本尊准胝仏母祈願(¥5,000~)
当院のご本尊である准胝仏母さまの祈願です。滅罪、延命、求子に強いご尊格です。
荼枳尼天とはお稲荷さまの仏教でも呼び名です。
商売繁盛、学業増進、立身出世など増益につよいご神さまです
病気平癒、健康維持にとてもよく効く祈祷で、お加持をした「お札」を毎日枕の下に入れてその札に「悪いもの」を吸い取ってもらうように機能させます。人によっては患部に当てるよう袋を作ってお守りのようにしている方もいます。不動明王による祈祷を行いますが、当院では延命に強い准胝仏母の力もお借りして祈祷致します。
光明真言にによる供養(光明供)にて、ご先祖供養を致します。光明真言には強い滅罪の功徳がございます。
(「どんな衆生でも救う」という使命を持って誕生した慈悲深い菩薩さまです。皆様の願いを菩薩さまにお伝えするお手伝いをします)
年始(旧正月)に「星祭」を行い、祈祷札をお出ししておりますが、随時「星祈祷」をお受けしています。
※不動尊華水供を修法致します。
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