准胝院のブログ

八王子市で准胝仏母を本尊とする天台寺門宗祈願寺院「准胝院」のブログです。准胝仏母祈願、不動明王祈願、人型加持(当病平癒)、先祖供養(光明供)、願いを叶える祈願(多羅菩薩)、荼枳尼天尊(稲荷)の増益祈願等

准胝信者向けのお経

 我が家の本堂の中央には光背を入れれば1.2mもある准胝仏母さまがご本尊として鎮座されています。

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「なぜ准胝仏母なの?」

ということをよく聞かれます。

 ただ自分で思い返しても「これだ!」というきっかけというのは思い出せないんです。自分のことなのにこんな言い方するのはおかしいと思いのですが「気づいたら強く信仰していた」としか言いようがない……

 私の場合、古くから仏像マニアだったので、どこかで気に入った准胝仏母を見たことがきっかけという可能性が高いはずなのだが、その記憶もない。

 そもそも有名な准胝仏母の仏像といえば大報恩寺六観音にある「准胝観音」くらいしか仏像関連の図書には登場しません。ですから過去に多くの准胝仏母を見るチャンスはあまりなかったように思う。

www.daihoonji.com

 だから私にしては意外だが、准胝信仰は仏像がきっかけではないということです。

 自分の中では、自分の身の回りに「准胝さま」を中心に色々なご縁が訪れているので「ご縁」の一言で全て納得できています。

 さて、今日は私が准胝仏母の信仰をスタートした当初の話を少ししたいと思います。

 なかなか珍しいご尊格なので、どうやって勤行するのか?は当時、随分悩みました。

 それまでは簡単な勤行要集で般若心経、観音経をお唱えしていましたが、やはりどうしても「准胝仏母」に関連の深いお経の読誦をしたいと思いはじめます。

 ネットで色々調べると、過去に醍醐寺発行の「準提佛母観世音菩薩念誦法」という勤行要集が山城屋文政堂で取り扱っていたことを知ります。しかし山城屋文政堂に連絡するも「昭和62年発効」のものでとうの昔に「品切れ」と言われてしまいました。ただその勤行要集には地婆訶羅訳の「仏説七倶胝仏母心大准提陀羅尼経」が収録されているとの情報をキャッチします。

 すると以下の図書にこの「仏説七倶胝仏母心大准提陀羅尼経」がおさめられていることを知り↓

この本の該当ページを拡大コピーして自作教本を作ってこの経を読誦するようになりました(↓写真は当時使っていたコピー)

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 ちなみに地婆訶羅訳の『仏説七倶胝仏母心大准提陀羅尼経』は同本異訳がいくつか存在します。

曰く……

善無畏訳『七仏倶胝仏母心大准提陀羅尼法』
金剛智訳『七仏倶胝仏母准提大明陀羅尼経』
不空訳『七仏倶胝仏母所説准提陀羅尼経』

 これらの訳の成立は地婆訶羅訳より後になるので、だんだん付けたされて?内容が濃くなって次第書のようにボリューミーな内容になっています。

 信仰を始めて間もない私にとって「読誦するためのお経」と「次第書」のように読誦用ではないお経との区別が全くついていなかったので「長い方がいいだろう」的な短絡的な発想で一番長い経を選ぼうとしましたが……あまりに長いので止めました(笑)

 地婆訶羅訳がなんとかギリギリ「読誦用」として読み切れる長さですし、現に醍醐寺でも読誦用として読まれていたので地婆訶羅訳の『仏説七倶胝仏母心大准提陀羅尼経』を読誦するのが正解だという結論に後々思い至りました……

(その後、ずいぶん経ってから独部法伝授の際に頂いた教本に同経が収録されていましたので、最近はもっぱらその経本を用いています)

 さて、他に准胝仏母に縁のある経はあるのか?ということをさらに見てみましょう。 実は准胝信者にとって重要(と思われる?)お経があります。それが『仏説大乗荘厳寶王経』です。このお経の影響で日本では准胝仏母が「准胝観音」になったという記事は以前にした通りです。

ryona.hatenadiary.jp

 これも最初はこのお経も「読誦したい」と思い、いろいろ情報収集して全文に「読み仮名」をつける作業まではやりました↓

 

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 しかしあまりの長さに(厚さに注目!)↓、これも読誦は断念しました(汗)。

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 ただこのお経、日本ではあまり知られていませんが、チベット、中国ではとても重要な「観音さまのお経」という位置づけです。また、そのことと併せて、このお経は私にご縁のあるお経だと感る場面が過去に多くあったので(↓)

ryona.hatenadiary.jp

 自身の教会が立ち上がった暁には、偈分だけでもその教会オリジナルの教本に入れるのもありかな?とも思っています。

 ということで、まとめると准胝信者さまがお唱えるといいと思われるお経は地婆訶羅訳の『仏説七倶胝仏母心大准提陀羅尼経』と『仏説大乗荘厳寶王経』なのでは?というのが今の私がたどり着いた結論です。

 

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人が変わるタイミング

 私事。

 私には3人の息子がいるのですが、一人は社会人。もう二人は双子で大学に通っています。

 一人(次男)はある資格をとるために大学院に行くことが決まっています。

 もう一人の三男は某国立理系の3年ですが、大学院にはいかず「就職」を希望していました。

 ところがここにきて急に「大学院に行きたい」と言い出しました。

 実はこの理由は決して「ポジティブではない」ことを私は知っています。

 つまり就職を先延ばしにしたいという魂胆です。

 三男は極度の「対人恐怖症」というコンプレックスを持っています。だからかつてアルバイトの面接で満足に話すことができずアルバイトですら採用されないという状況でした。

 それでいざ就職活動の時期にきて悩んでしまった訳です。

 これを父親としての私が許すか否か?という話です。


 結論から言えば、私は許しました。

 確かに三男は今までこれといった目標がなく、大学3年間。ダラダラと過ごしてきました。そして大学4年になれば就職活動という「ハードル」が迫っていること知っていて、ギリギリまで見て見ぬふりをしてここまできました。

 しかしようやく「危機感」に耐えられなくなり、泣きついてきたという訳です。

 かみさんは「いまさら都合がよすぎる!」「だから散々いってきたでしょう!」

 と鬼の首をとったかのように非難轟々。

 そんな状況で私が易々と大学院という逃げの道を与えてしまったいいのか?と思った人もいると思います。

 私が彼の大学院行きを賛成した理由は「自分のアピールポイントがない。それを大学院の2年で獲得したい」「対人恐怖を克服したい」と自分の意志を明確に言ってきたからです。

 もちろん二つ返事ではない。

 自我の成長は人によって様々です。

 まだ成長途上の新人が入社してすぐにつぶれていく姿を何度も見てきました。

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 残酷なことを言えば、客観的にみて三男は今のまま就職しても潰れる可能性が極めて高いと思いました。どこかで変わる必要がある。

 自分の「将来へのビジョン」を持つタイミングや「過ち」に気づくタイミングは人それぞれだというのが私の持論。人によっては若いうちから自分の道を見つけて突き進む若者も多くいるのはよく知っている。でもそんなカッコいい理想的な若者は限られる。

 それに本人が「ようやく気付いた」というなら最後のチャンスをやろうと思った。

 ただし三男との話し合いの中で以下の約束をしました。

「大学院の研究で2年後に就職先にアピールできるだけの研究結果を残す努力をすること」

「毎週一度、動画通話でスピーチ(主に論文のレビュー)の練習を私とすること」

 一応、私は「講師」という話す仕事をしているので「緊張しても話す」ためのメソッドは色々あるので、彼の対人恐怖というコンプレックスを解消することはできる算段があります。

 大学4年の一年と大学院の二年、合わせて三年。

 彼がどう変わっていくのか。

 見守っていきたい。

 

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神仏絵師のご紹介

 先の記事で紹介した「倶利伽羅龍王」の絵画につきまして、許可を頂きましたので作者さまの紹介をしたいと思います。

ryona.hatenadiary.jp

 

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 その作者さまの工房のサイトリンクがこちら(↓)

yosuga-vawatthu.com

 後になって作者さまのプロフィールを見て驚いたのが「熊野地方」のご出身であること。

 私が倶利伽羅龍王さまに「呼ばれた」と感じて(妄想してかも)、衝動的に熊野三山に強行参拝したのは以前、記事にした通りです。

ryona.hatenadiary.jp

 ここから既に今回のご縁はスタートしていたのかもしれませんね(^^)

 先の記事でもご紹介した通り、とても龍神信仰のある方で、「毎日朝に龍神様の絵を描いています」だそうです。またこの倶利伽羅龍王さまの絵についても「不動真言」を唱えながら描いたということは先に記事でも書いた通りです。

 そんな作者さまの「こだわり」に関する記事をサイトりょい引用させていただきます。

 

『(引用)主に水彩画・墨画を描いております。

アナログ絵が中心です。

龍神様を中心に神仏様など多種多様な絵に対応致します。

 

龍神様を描くときには作業取り掛かり時に必ず

龍神祝詞を奏上し描画致します。

神仏様を描くときにはお経やご真言を唱えています。

神仏様に依代としてして頂けるよう、

魂が入って頂けるよう心掛けて描いています。

 

絵に使うお水は

奈良県吉野郡玉置山の龍神様のお水を採水して使用しております。

それが私のこだわりです。(引用終わり)』

 

 なかなかこういった方に神仏画を描いていただけることは希少だと思いました。このご縁を頂けてたことに感謝です。私の中では間違いなく倶利伽羅龍王様のお導きと思っています。

 またTwitterでも発信されており、この倶利伽羅龍王さまの絵のご紹介もされていますので下記リンクしておきます。

 

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感情が豊かな人は幸せ

「欧米人は感情が豊かである」

「日本人は感情を表に出さないのが美徳である」

 そんな話は皆さんもよく聞くと思います。

 そしてこの違いの背後にあるのが「人目を気にする」というファクターだと思う。

 屁理屈を言えば「感情」と「行動(表情も含む)」は本来別ものである。

 だから日本人が感情を表に出さないのは、「人目を気にして」そういう「行動」を意識的に選択しているだけ……なんてことが言える。

 つまりは欧米人は「人目を憚らず感情=行動(表情)」だから感情が豊かに見える。それに反して日本人は「人目をいちいち気にして感情を抑えて行動する。

 だからだろうか。日本人は空気を読みすぎて、人によっては生きずらいと感じることもあるように思う。

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 ちなみに私は若いころは自意識過剰が過ぎて人目ばかりを気にしいたが、今では(特に会社では)「意識的に空気を読まない」行動選択をしているので随分と生きやすくなった。

 空気を読み過ぎて辛い人は、意識的に「読まない」という選択もありだと思います。随分楽に生きられます(^^)

 さて、では冒頭に戻って、「周りの目」による「反応(行動)」ではなくて、純粋な欧米人(特に少年・少女)の感情の豊かさを知ることができる動画を紹介したいと思います。

youtu.be

 この動画見て、もらい泣きしてしまった(笑)

 ここに登場する少年・少女を見て「自分が同じ年頃だったころここまで感情あらわに泣いたりしたことはないなあ」とつくづく思いました。

 そして明らかに感情が豊かにして、こんなにも作品を楽しめるのって幸せだよなと思いました。

 

 またそれとは別に海外の少年・少女をここまで感動させる日本のアニメって凄いですね……

 進撃の巨人ファイナルシーズンもスタートしたので、私も毎週楽しみです。(実はこの記事で一番これが言いたかった)

shingeki.tv

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「廻り明神(まわりみょうじん)」という信仰

 「廻り明神(まわりみょうじん)」という信仰を聞いたことありますか?

 私はたまたまNHKの番組「新日本風土記」で紹介されている映像をみて知りました。

 ※新日本風土記番組リンク

www.nhk.jp

 「廻り明神(まわりみょうじん)」番組アーカイブリンク

www2.nhk.or.jp

 「廻り明神(まわりみょうじん)」についての解説を以下に引用します。

奈良市東部の大柳生町(おおやぎゅうちょう)。400年前から続く「廻り明神(まわりみょうじん)」は、集落の人たちが、地元の氏神様を1年交替で自宅に預かるという習わしです。集落の年配者から順に預かりますが、家族に不幸がなく健康なことなど、条件が揃わなければこの大役は任されません』

『「明神さん」になると、ご神体の黒箱を奥座敷の高所に飾り、1年間厳格なしきたりを守る必要があります。明神さんは、ご神体のある部屋で1年間寝起きし、外泊はできませんし、女性が部屋に入ることもできません。毎月1の付く日には、午前6時から白装束に袴姿で御神酒で清めた榊の葉を口にして無言で山口神社へお参りします。また、家族も含めて1年間、牛肉・豚肉やネギ類などを食べず精進潔斎します』

 私はこの信仰の形態を知った時、すばらしい信仰形態だと感動しました。

 「明神さま」をまさに勤め上げ、明神さまの交代がまじかに迫った方がこんなことを言っていた。

 「最初は、大変だと思った。でも最後は、自分の家から神様が離れて行くことが寂しくなる。先代が明神さまの交代の時、涙を流していたことが不思議に思えたが、今にして思えばその気持ちがよく分かる」

 一年間、自宅が「お宮」になり、それをその家の長と家族が「氏神の守り役」としてその大役を務めあげる。ただ近所の「お宮」に初詣をするだけという地域が多い中、一年間もの間、氏神さまにお仕えする家が毎年順番に回るというのは「強い信仰」がその村に残ってしかるべしだと思った。

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 我々仏教徒も、信仰が進むと「仏像を自宅にお迎えしたい」と思う気持ちが芽生える人が多くいます。

 「仏像をお迎えする」とはつまり上述した「廻り明神(まわりみょうじん)」の風習で氏神さまを自宅にお招きすることと全く同義だと思います。

 その風習では上に引用したような「厳しい」行とも言えるような生活を強いられます。それはそこまで神仏をお迎えするということは「簡単なことではない」ということだと思います。

 私も信仰を始めて割と早い段階で「仏像をお迎え」していました。決して軽々しく考えていたわけではありませんが、それでも「廻り明神(まわりみょうじん)」の風習を目の当たりにすれば当時はまだまだ認識が「甘かった」と反省せざるを得ません。

 

 この現代でも生き続ける……つまり長い時間に耐えてきた「信仰の形」は強い力がある。それらの多く知ることは、とても勉強になる。

 だから、そんな全国の「信仰」を紹介する「新日本風土記」を見るたびに自分の信仰の至らなさを痛感し、また軌道修正するための大切な道しるべにもなる。

 これからも視野を広げて、沢山の「生きた信仰」を参考にしていくべきだと強く思った。

 

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倶利伽羅龍王の絵画

 ある方が、倶利伽羅龍王の絵画を描いてくださいました。

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 しかも、以前に私の護摩加行中に「おでまし」になった倶利伽羅龍王の写真を元にし、しかも写真の龍王さまの「輪郭」通りになぞって輪郭を合わせて描いてくれています。

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 この方はとても信仰のある方で、不動真言を唱えながらこの絵を描き、最後にはこの絵の炎が揺れて動くのを見て「完成とした」と仰っていました。

 このご縁に感謝しかありません。

 

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