准胝院のブログ

八王子市で准胝仏母を本尊とする天台寺門宗祈願寺院「准胝院」のブログです。准胝仏母祈願、不動明王祈願、人型加持(当病平癒)、先祖供養(光明供)、願いを叶える祈願(多羅菩薩)、荼枳尼天尊(稲荷)の増益祈願等

荼枳尼天と准胝仏母の関係

 昨日は荼枳尼天の話をしましたが、荼枳尼天とご本尊の准胝仏母との関係はどうでしょうか?

「なぜそんなこと気にするの?」

 といういことなのですが、私は「ご縁のないご尊格がくることはない」という強い持論を持っています。

 「縁」にはいろいろあると思いますので、「その縁」は必ずしも本尊繋がりという訳でもないと思います。

 しかし、こと「私の場合」はどうも私のご縁の中心にご本尊の准胝仏母がいるという「感触」が大いに感じられているという経験則から、上述のようなことが大いに気になる訳です。

「そんなおまえの思い込みにつきあってられるか!」

 なんて声が聞こえてきそうですが!?これはこれでご尊格のことを詳しく調べるよいきっかけとなっているのでまあ、お付き合いください(笑)

 でははじめましょう。

 実は過去、「焔摩天」の記事を書いたときに、荼枳尼天と准胝仏母との関係について軽く触れていました。

ryona.hatenadiary.jp

 つまり准胝仏母のご眷属に焔摩天がいます。その焔摩天の眷属には「七母天」がいて、胎蔵曼荼羅の外院にはこの「七母天」と「荼枳尼天」は「一族」のように近しい位置に描かれていることから「荼枳尼天」も焔摩天の眷属とも言える存在であることが伺えます。
 また、大日経疏にある荼枳尼天を教化した摩訶伽羅天は、「摩多利神曼荼羅」の中では「七母天」を眷属として従えていることから、摩訶伽羅天が焔摩天と同一視されているふしがあります。

 となれば焔摩天七母天荼枳尼天は深い関係にあると考えて全く問題がないように思います。となれば焔摩天のボスである准胝仏母と荼枳尼天もやはりファミリーだったという事になります。

 ここまでは過去の記事で考察した部分です。

 

 今日は少し別の観点から「荼枳尼天」と「准胝仏母」の関係に迫りたいと思います。

 ここまでの話は胎蔵曼荼羅大日経疏が論拠にあるのでそれほど異論のある話ではないと思われます。

 しかしここからする話は「諸説あり」の内容を多く含むのでそのおつもりで読んで頂ければと思います。

 さて、上述の話で誰もが引っかかるところがあろうかと思います。それは胎蔵曼荼羅にある荼枳尼は日本で信仰されている荼枳尼天とはあまりにもお姿が違うということ。

 これについては多くの方が既にご指摘しているように日本の荼枳尼天信仰は日本独自のものであって胎蔵曼荼羅に見られる荼枳尼天が「根幹にある」としてもそのままイコールではないということです。

 日本の荼枳尼天が「なぜあのような美しい女神になったのか」ということについては諸説の論拠があると思いますが、その中でも宇賀弁才天のお姿からきているという説が有力のような気がします。

 例えば下記の絵を見れば荼枳尼天が宇賀弁才天のお姿の影響を受けているのは一目瞭然です。

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引用元:Twitter「一魁斎 正敏@浮世絵スキー&狼の護符マニア」

 

 この絵は狐に乗ってはいるものの八臂の宇賀弁才天に見えます。しかしよく見れば頭に頂いているのは宇賀神ではなく荼枳尼天の親分である大黒天です。とすれば「狐に乗っていること」と「大黒天を頂いていること」からこのお像は荼枳尼天という可能性が高いですね。

 さらには師僧のお寺で狐と龍に乗った宇賀弁才天のお軸を見せていただいたことがありました。

konjichouin.hatenablog.com

 ということで日本の荼枳尼天のお姿は八臂弁才天の影響を受けているならば、「弁才天のお姿」をキーにして准胝仏母と荼枳尼天の関係性に迫りたいと思います。

 過去に書いた以下の記事にヒントがあります。

ryona.hatenadiary.jp

 この記事の説は「諸説あり」の際たる論だと思うので、鵜呑みにはできないと思いますが、私的には極めて重要な意味を持つ話になりました。

 ポイントは弁才天が元々は「闘神だった」という事実です。

 荼枳尼天は美しい女神なのにどこか「恐ろしい」というイメージがあります。その論拠の多くは「もともと鬼神だったから」というところからきているのだと思います。

 しかし荼枳尼天弁才天の影響を受けているのであれば「弁才天から「闘神」という属性を受け継いでいるという解釈もできるのでは?と考えました。

 さて先の「ヒント」で紹介した過去記事では「弁才天ドゥルガーかも」という話はかなり衝撃的だったと思います。もともとドゥルガーと言えば、一番関係づけられて語られる仏教の尊格は准胝仏母であることを知る人は多いと思います。

 その詳しい話も過去にしているのでそちらをご覧ください。

ryona.hatenadiary.jp

 ただ、この記事にある通り准胝仏母はチュンダーという女神であったことはほぼ確実なので、准胝仏母が元々ドゥルガーという話ではなく、実際は「容姿だけドゥルガーの影響を受けた」とするのが正しいようです。

 とするならば少なくとも「容姿」に関しては弁才天と准胝仏母は共にドゥルガーの影響を受けているという意味で「近しい」ということになります。

 さて、ここからが私の言いたい事。

上述したような「諸説」は、どこまで行っても「仮説」です。学問という立場ならば、常に否定的な立場を崩さずに研究にあたるのが学者さんの正しい態度なのだと思います。

 でも私はむろん「学者」ではなく「信仰者」です。

 だから仮説から自身の信仰に「プラスとなる」ことは大いに参考にしたいというスタンスにいます。そんな私が今回たどり着いた「信仰の形」を述べたいと思います。

 准胝仏母は「仏母」だけあって非常に多岐にわたる「属性」を内在しているご尊格だと思います。その「たくさんある属性のうち」の「ある部分」が突出して具現化した姿として「と荼枳尼天」が存在するのだという結論にたどり着きました。

 この考えに至ってからは、私は荼枳尼天の姿を見ればその背後に常に准胝仏母を感じることができるようになりました。

「お姿に共通の淵源がある」という知識は、お像を目の前にしたときにそれぞれの尊格がリンクしやすくなる。

 これが私にとっての大きなことでした。

 以来、私は焔摩天の前でも荼枳尼天の前でも歳徳神の前でも、知識としてそれらの尊格と准胝仏母との関係を知ることができたことで、その背後に准胝仏母の存在を感じられるような土台ができたと思っています。言い方を変えれば「知識」を「信仰」という形にしっかり落とし込むことができたという事です。

 前にも語ったことがあると思いますが、少なくとも自身とご縁を頂けたご尊格についてはよくよく調べることで大いに信仰の形が進むことがあるので私は皆様にもお勧めしたいと思います。

 

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荼枳尼天の持物に思いを巡らせる

 私がはじめてお招きした「天部尊」は「荼枳尼天」です。厳密には「智剣」と「宝珠」を持つ密教荼枳尼天ではなく「鎌」と「藁束」を持つ所謂「最上稲荷高松稲荷)」のお姿をした「荼枳尼天」です。

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「鎌」と「藁束」から連想するイメージは「稲荷=農耕豊穣神」となりますでしょうか。同じく「藁束」を持つ「荼枳尼天」がいますね。右手に「藁束」を持ち、左手に「宝珠」をもつ豊川稲荷

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 こうして持物が違うお姿を見ると、いろいろな「想像」がでてくる。

 藁束というのはつまり「稲」であり、稲からとれるのは「米」である。「米」は「舎利」と同一視されることから、「宝珠」と同義でもある。だから「宝珠」の代わりに「藁束」を持つのは「農耕豊穣神」としてのイメージは強いものの理屈に合っている。

 「宝珠」「舎利」「稲」……これはつまりどれも「増益」の象徴ということになると思うが、「増益」が過ぎると、人間にどうしても「煩悩まみれ」となるリスクがありますね。

 密教荼枳尼天はだからそんな煩悩を断ち切るために、リスクヘッジとして「智剣」を持っている、なんて想像も出来てきます。

 だから個人的には「剣」を持たない最上稲荷を前にするときでも「宝珠」のイメージばかりでなく「智剣」のイメージも強く併せ持つようにしている。きっとそれが安全であり、きっと荼枳尼天さまだって煩悩まみれにならない願主なら安心して「益」を与えようとするのではなかろうか?なんて考えている。

 そう考えてみると「藁束=宝珠」であるならば「藁束」と「宝珠」を持つ豊川稲荷は「両手に宝珠を持っている」とも言えなくもない。より「増益」に特化した神さまなんですね。もしかすると曹洞宗ゆえに「禅」で煩悩を排除するのが前提になっているのかな?なんて勝手な想像をしてみたが……どうなんだろう(個人の妄想です)。

 さて、冒頭に戻ると私がお招きした最上稲荷の持ち物は「鎌」と「藁束」なので、上述の理屈に合わせるなら「智剣」が「鎌」になって、「宝珠」が「藁束」になったとすれば密教のお姿と意味合いは同じになる。

 でも確かに「鎌」は「武器」にもなるが、普通に考えれば「鎌」はどうやっても稲を刈る道具である。だから肩に担ぐ「藁束」を取り込むために使った「鎌」と考えるのが自然な解釈だ。

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 しかしですね。私がこの最上稲荷のお姿をした荼枳尼天を前にするとき「鎌」を「智剣」とイメージしてお勤めをするようにしています。これは上述した「煩悩排除」という理屈もそうなんですが、そもそも「その理屈」にたどり着いたのはちょっとした「体験」があったからでもあります。

 その体験というのが、ある時、この荼枳尼天さまを前にして勤行していると、「般若心経」をお唱え始めた途端「鎌」が急に「キラキラ」と光って見えたことがありました。おそらくは部屋の明かりが偶然「鎌」に当たって反射しただけだと思います。ただ私的には「般若心経」という「空」を説くお経に差し掛かったところで「鎌が光った」というシンクロニシティ―に「なんか意味があるな」と思いました。そしてすぐに「ああ、この鎌は智剣なのか」ということに思い至った訳です。

 以来、私の中ではその「鎌」は「稲を刈る」という「増益」とともに、「煩悩」を断ち切る「智剣」としてイメージするようになりました。

 またそんな「智剣」のイメージが生まれたのは、この最上稲荷は師僧から密教で開眼していただいていることとも関係があるのかもしれません。

 さて、今回ご紹介した体験はあくまで「個人的な体験」なので、誤った解釈をしているかもしれません。それでもこのように「神仏」と接していくうちに少しずついただける「ヒント」の積み重ねもまた修行かなとも思います。

 だから皆様も是非、お勤めされるときはいつでも神仏からの「ヒント」を受け取れるように、ボーっとお経を読むのではなく常にアンテナを高くしておくことをお勧めします!

 

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原作版「風の谷のナウシカ」にみる成仏のシーン

 つい先日、新歌舞伎「風の谷のナウシカ」が地上波で放送されて話題になっていましたね。

www.nausicaa-kabuki.com

 このナウシカ、実は「アニメ版でなく原作版」から作れれているんですね。

 驚きました。

 念のため簡単に解説しておくと、原作(漫画)版の風の谷のナウシカはアニメとは別物です。

 登場人物、国名などは一部同じですが、アニメ版は全7巻ある漫画版の僅か2巻の途中までを改変した(分かりやすく平易にしている)アニメオリジナルのストーリーです。

 宮崎駿作品を語らせたら右に出るものはない岡田斗司夫氏は「漫画版ナウシカ」が日本史全体だとすれば「アニメ版ナウシカ」は真田丸のようなものと語っています(当時、大河ドラマが「真田丸」放送中ゆえの表現です)。

youtu.be

 つまり「ほんの一部を切り取って面白く作り変えた作品」というイメージを持ってもらえれば概ねOKです。

 さて今日はせっかくなので、仏教ブログらしく?この漫画版ナウシカ出てくるとても印象的な「成仏のシーン」を紹介してみようと思います。

 仏教徒が「成仏」という用語を用いるなら、慎重になるべきなのは重々承知していますが、ここでは「成仏とはなんぞや」という議論をするわけではないので気楽に記事を読んで頂ければと思います。

 

 「そのシーン」……とても感動的なんですよね。私は思わず涙がでましたから。

 

 そう言えば、所謂「知識人」と言われる人たちに漫画版の(アニメではない)「風の谷のナウシカ」を絶賛する人が多くいます。例えば「知の巨人」立花隆氏(某党の党首ではないですよ)、民族学者の赤坂憲雄氏、経済学者の野口悠紀雄氏etc……

 そして「知識人が好き」ということからご想像いただけると思いますがとにかくこの漫画、「話が難しい」ですね。

 一般の「漫画を読む」という気楽な気持ちで読み始めるとおそらく途中で挫折します(笑)。

 だから漫画版のナウシカを読むときはとにかく「腰を据えて」「じっくり」そして「覚悟して」読むことがなによりも重要なポイントです。

 ただ、がんばってじっくり最後まで読めば、その作品の奥深さに震撼することと思います。この作品を読めば宮崎駿監督は「天才」ではなくもはや「怪物」であることを思い知らされる、そんな畏怖すべき作品です。

 さて前置きが長くなりましたが、この漫画版ナウシカに出てくる「成仏」の場面の解説をしていきましょう(以下ネタバレありなので未読の方は注意してください)。

 漫画版のナウシカはアニメ版と違うところに「超常の力」と言われる、いわば「テレパシー」や「念力」などを露骨に使うシーンが多く登場します。
 またこの作品は巨大宗教国家(土鬼:ドルク)と巨大軍事国家(トルメキア)との戦争が舞台になっています(これだけでも凄い設定ですね)。ちなみにナウシカが暮らす風の谷はトルメキアに自治を認められているトルメキアの属国です。

 その宗教国家土鬼の王であり、宗教的指導者でもある神聖皇弟「ミラルパ」は、ナウシカの力を恐れ、彼女を亡きものとするため何度も「体外離脱(幽体離脱)」し、「霊」となってナウシカ襲います。

 そのミラルパの姿はドロドロした黒い闇に包まれた禍々しい姿で描かれます(もののけ姫の「祟り神」に近いイメージです)。

※以下、引用を多くしますが、下記サイトを参考にしています。

maruwoblog.com

↓ミラルパ

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霊の姿

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出展:風の谷のナウシカ 宮崎駿著(徳間書店

  しかし慈悲の人、ナウシカには多くの守護者に守られており「ミラルパ」はナウシカを簡単には捉えることができません。
 物語の後半、この神聖皇弟「ミラルパ」は、兄の神聖皇兄「ナムリス」に暗殺され命を落としますが、死してなおミラルパは妄念となってナウシカを追いつづけます。
 そしてナウシカがオームの虜になって「抜け殻」となり深層世界に飛ばされてしまったところで、「無防備」となったナウシカをミラルパの霊(闇)が襲います。

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出展:風の谷のナウシカ 宮崎駿著(徳間書店

 しかし、ナウシカはミラルパの闇を「高貴な力」で弾き飛ばし、難を逃れます。すると「闇」をナウシカによってはがされたミラルパはなんとも弱々しく怯えた幼子のようにも見える老人の姿になってしまいます。

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出展:風の谷のナウシカ 宮崎駿著(徳間書店

 そこからナウシカは自分の身体に戻るべく深層心理の旅に出るのですが、ここで怯えて動けないでいるミラルパの手を取って一緒にその旅に誘います。

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出展:風の谷のナウシカ 宮崎駿著(徳間書店

 自身の深層心理の中をミラルパと旅することでミラルパの心は回復し……

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出展:風の谷のナウシカ 宮崎駿著(徳間書店

 ついにミラルパは笑いながら楽園に消えていくというシーンが描かれます。

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出展:風の谷のナウシカ 宮崎駿著(徳間書店

  これが上述した「成仏」のシーンです。人によっては「これ成仏のシーンなの?」と思われる方もいるかもしれませんが、その後にこの「ミラルパ」の参謀であった僧にナウシカが「ミラルパは成仏した」ことを伝えるシーンがあります。

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出展:風の谷のナウシカ 宮崎駿著(徳間書店


 私はあれほど「恐ろしい闇」だった「ミラルパ」なのに、根っこにあったのは「無垢で気の弱い老人の姿」であったことが衝撃でした。きっと彼を恐ろしい闇にしていたものは「混沌とした世界」「戦争という厳しい境遇」によって背負わざるを得なかった「業」を身にまとっていたからなんだ、ということが分かる描写です。

 そしてその業を全て手放すことができたことで「成仏する」という描写は間違いなく仏教的な解釈だと思われます。参謀だった僧が「あの宿業の人が……」というセリフが泣かせますね。
 興味深いのはナウシカの深層心理がそのまま「あの世」に繋がっているという描かれ方をしているところ。これはユングに代表される深層心理学では定番の世界観ですがそれを「作品」としてリアルに描ききるところがさすが宮崎監督だと思いました。

 私はこの「成仏」のシーンに感動したのですが、また別にこれがあまりにリアルに感じたので、実は人間は誰でも「ミラルパ」と同じように闇ともいえる「業」を背負って生きて、そして死んでいくのかもしれないと感じ入りました。

 ということで、是非皆さんも漫画版のナウシカを実際にて手に取って読んでみてください。一生に一度は読まないと損する作品間違いなしですよ(笑)

 

 

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今年の仙台は寒い~越冬猫(親バカ)の話~

私は仙台に越して、もう10年にもなるが12月~1月にかけてここまで寒いのは初めてかもしれない。

 それぐらいに寒い。

 去年、はじめて仙台の冬を越した我が家の美人姉妹(猫:二人の血のつながりはない)だが、今年の冬は去年と違ってその厳しい寒さに耐えなければならない。

 基本、我が家の猫は「リビング」のみが活動範囲なので、夜は私も妻も寝室に行くので夜中のリビングは猫&犬の動物王国になる。

 むろん人間さまがこの部屋を出た後は暖房は消してしまうので、今年に限っては部屋の気温が朝方には5℃をきってくるほど冷え込む。

 だから朝方起きてくると、姉妹はこんな風に二人で丸まって暖をとっている。

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 犬(ビーグル犬)は寒さには強いが、果たして短毛種類の日本猫はどうなんだろう?ネットで調べてもいまいちはっきりしない。

 寒い地方では野良猫は寒さに耐えられず命を落とすこともあるなんて記事もあると少々心配になる。

 娘にはたいそう過保護は私はさすがに可愛そうになり、今日から電気毛布を緩くかけておいておくことにした。

 それにしても二人仲良くてよかったにゃん!

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1月3日に元三大師とのご縁?

 師僧寺院の内陣で、例祭の準備をしている時に突然、同期の兄弟弟子の一人がこんな事を言った。

「元三大師、お祀りしないんですか?」

 突然にそう言われた私は一瞬、何のことことが分からず「は?」と言ったまま、しばらく呆けたように口を開けてしまった。

 彼は兄弟弟子の中でもつき合いが一番長いので私の信仰に関してはある程度、知っているはずだが私が今まで元三大師への信仰を話したことはない。だから私的には突然元三大師の名が彼から出たことに違和感を感じた。

 実は彼は私のような凡才と違い、某術の家系の方で、霊的な感性に優れた兄弟弟子だ。だから過去にも折にふれて、唐突にこのような「何か感じたこと」を言ってくる場面は何度もあった。

 私は今回もそんな場面だったのだと咄嗟に了解した。

「え?なんか感じたの?」

 そう私が聞くと「里見さんの家はそのくらい強い守護があった方がいいんじゃないかと思って」

 私はこの時、知ってか知らぬのか(後で確認したら知らなかったらしい)今日、内陣に掛けたばかりの元三大師の軸の目の前に来た途端、突然そんな話しをしたものだから「これは普通ではないぞ」という気になっていた。

 しかも今日は「元三大師」の名前の由来である命日の正月の3日の「このタイミング」だ。

 その時につい先日に、ある有縁の方から元三大師の軸装用の1mくらいある立派な「仏画」を頂いていたことが「ピン」と頭をよぎった。

(これ↓)

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「実は先日〇〇先生から元三大師の絵をいただいたんだよね」

「やっぱりね……それ祀った方がいいんじゃないですか?」

 いつもはどちらかというとこういった話はフワフワと語るのだが、今日はやけに強く言ってくる。しかも私が言う前に師僧にその話を持ち掛けてしまった。

 師僧は「絵があるなら縁があるかもしれないね」と言われつつも、「元三大師の厳しさは時に聖天さま以上」とのことで祀ったら大変ことになるとも言われた。

 これは悩ましいです。簡単な話ではないが、ここまでくるととても無視できる話でもない。

 結論は急がず、この頂いた絵をまずは軸装はしておこうと思う。

必要であれば、先に進むはずである。この件は慎重に様子を見たい。

 ※「元三大師」の本地である「如意輪観音」は本堂にお祀りしてはいる

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今年の抱負『年齢を理由に逃げない』

新年おめでとうございます。

皆さまにとって素晴らしい年となることを祈念申し上げます。

 

さて毎年恒例なのですが、年末、年始は「だれ」てしまいます。

個人的には長期休みより、忙しい仕事中の方が生産性が明らかに上がり、色々捗るのは平日。

もちろん仕事をしている平日の方が物理的な時間はないはずなのに。

 

どうしても非日常の「休みの日」は自分の心の弱さが過剰に出てしまいます。

 

年末年始に入って、そんな「だらだら」とした生活が続いて自己嫌悪が募っていた今日、モチベーションが滅茶苦茶上がる動画に出会った。

youtu.be

「歳だから無理はできない」

ここ十年。この言葉でどれほどのことから「逃げて」きただろうか。

 

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元旦にこの動画に出会えたことに感謝。

 

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