准胝院のブログ

八王子市で准胝仏母を本尊とする天台寺門宗祈願寺院「准胝院」のブログです。准胝仏母祈願、不動明王祈願、人型加持(当病平癒)、先祖供養(光明供)、願いを叶える祈願(多羅菩薩)、荼枳尼天尊(稲荷)の増益祈願等

強い土地だから栄えているのだ

 先の記事では、オタキングこと岡田斗司夫氏の動画を紹介しました。その時に『日本太古の神々は見てはいけない』という話に触れましたが今回はそれと少し関連のある話をします。では繰り返しになりますが、岡田斗司夫氏の動画で「そのくだり」を文字にして引用してみます(がんばった!)。

『西洋の神様は視る者がいたらそれは預言者と言って奇跡だし、本来視えないものでも、もし視えてしまったらそれは福音であるという考え方なんです。ところが神道とか神道という形に固まる前の日本の神様像というのは本来見えてはいけないものだし、見えてしまったら祟るから祀らなければならない。(中略)子供のころから山歩きしていたおじいちゃん、おばあちゃんとかが絶対に立ち入らない場所と言うのがあるんです。それはそこに行くとなんかゾッとするから。そこは普通の里山と言われる人間が住んでいるところからはもうちょっと奥に入った鎮守の森といった原生林です。人間があまり快適でない自然が残るところにある。なんかそこに行くとゾッとする、居心地が悪い場所がある。みんながなんとなく気持ちが悪いから行かない。だから山道もないんです。パワースポットに行くとスッとするとかするじゃないですか?あんなものは嘘で、パワー貰えるなんて嘘なんです。本物のパワーがあるところというのは現地の人すら決して行かない。立ち入らないから道もないです。神社もなければ遺跡もないんです。そこにいるだけで嫌な予感がして、足がすくむような場所って言うのが山の奥には必ずあって、その土地に住んでいる人は小さな時から山歩きをして知っているから近寄らない。そういう場所を昔から日本人は山の聖域というようないい方で呼んでいたんですね。そしてトトロはそういうところに住んでいるんです……Youtube岡田斗司夫チャンネル「ジブリ特集7 君はまだ“本当のトトロ“を知らない!『となりのトトロ』のダークサイドとは何か?』より引用)』

 これは日本の神、聖域といったものの考え方として一つの正解の様な気がしますが、それでもこういった「土地のパワー」「雰囲気」というのはそれだけではないように思います。

 人間というのは、「場所の雰囲気」というのを意識的、もしくは多くの場合無意識的に感じている可能性があると想像します。そしてそれは人間の生活に多大な影響力があるかもしれない……非常に興味深い事と思います。

ということで、そんな「場の雰囲気」に関する引用をもう一つしたいと思います。

 ここで何度も紹介している心理学者アーノルド・ミンデルの著書「24時間の明晰夢(春秋社)」からの引用です。

『一緒に歩いていたアボリジニーの長老スイス・オブライエン氏が、私の肩にやさしく手をかけて静かに言った。「アーニー(訳注:ミンデルの愛称)、あそこを見てごらん。街の中心地の方角だ。何が見えるかい?」私は騒々しいビジネス街、ヴィクトリア・スクエアが見えると答えた。たくさんの人々がショッピングを楽しみ、車が警笛を鳴らし、バスが交通渋滞の中をゆっくり進んでいた。「忙しそうな街が見えます」と私は言った。
 アンクル・ルイスは、「もう一度よく見てごらん」と言った。再度見ても、同じく騒々しい街が見えてるだけだった。「なるほど。視力はいいようだ。」しかし、ドリーミング(夢見)を見ていないようだな。白人連中はドリーミングを見ない。しかし、それにもかかわらず、それを感じてはいる。白人連中はあそこを街の中心地にした。私たちアボリジニーは、いま街の中心地になっている所でよく野宿をしたもんだ。あそこはドリーミングが最も強力な場所なんだよ。ウィクトリア・スクエアは素晴らしい場所だ。だから、あそこにあるビジネス街はうまくいってるんだ」
 私は、周囲の環境に対する意識を揺さぶられ、目が覚める思いだった。都市に対する私の見方が、アメリカ的な物の見方や教育という色眼鏡に歪められれていることに気づかされたのだ。この長老に出会うまでは、選択肢を与えられなければ、私は都市を避けて自然の豊かな田舎を好む傾向があった。アンクル・ルイスは、私が田舎に求めていた自然の驚異が、目の前の慌ただしい街にもあることを教えてくれた。ドリーミングはいつもそこに存在している。それは日常生活と呼ばれる出来事やありふれた対象の周りにかすかに感じとれる、雰囲気のようなものと言えるかもしれない。』

 さて、これを読んでどう思われましたか?これは岡田斗司夫氏のいっていた「聖域」とはまた違った土地のパワーに関する話ですね。この引用で言っていることは「発展する都市には元からそう言ったパワーが備わっている」ということ。ポイントは、「都市の発展」よりも「土地のパワーが先」と考えるところですね。

 そしてアボリジニーの人たちはそのパワー(彼らはドリーミングと呼ぶそうです)を常に感じて生きているという話です。

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 ミンデルはその後、「大地の心理学」、タイトル通りまさにこのテーマを取り扱った本を著します。

  興味のある方は読んでみてください(なかなか難解ですが……)。私はこの本を読んで非常に参考になった部分が、こういった「通常は意識しない雰囲気」というのは何度かこのブログでも紹介した通り「普段使っていない」もしくは「あまり意識しない」五感は感じているとうこと。そしてそれは訓練することで研ぎ澄まされていきそうだというアイデアです。本書にはそんなワークも沢山でています(くどい様ですが難解ですが)。

 また密教の行者であれば、その土地でなんらかの「雰囲気」を感じとるというのは必須スキルのような気もします。そしてそれは「霊能力」というような特殊能力ではなく、「意識化されない無意識のメッセージを意識化する」という捉え方をして、日常の生き方を変えること(=訓練すること)で研ぎ澄まされるべきセンスであると考えてみる。

 例えば修験道の修行で山に入った時だけではなく、普段からアボリジニーたちの言う「ドリーミング」を意識する生活を「どこでも」やる価値はある気がします!

 

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