准胝院のブログ

八王子市で准胝仏母を本尊とする天台寺門宗祈願寺院「准胝院」のブログです。准胝仏母祈願、不動明王祈願、人型加持(当病平癒)、先祖供養(光明供)、願いを叶える祈願(多羅菩薩)、荼枳尼天尊(稲荷)の増益祈願等

迷惑な親切心

「ああ、余計なことをしてしまった」

 昨日、この言葉が何度も頭の中をグルグルを巡り、しばらくそんな言葉とともに自己嫌悪で凹みまくっていました。

 

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 今回、私がやってしまったのはお相手のことあまり考えない、独り善がりの「迷惑な親切心」による発言。

 具体的には、仏像の話題でSNS交流させていただいている方へのあるコメントです。

 話題はむろん「仏像繋がり」の方なので仏像の話となります。相手の方は、SNSで何度かやりとりのある仏像コレクターの方で、真面目に仏像を勉強されて知識量も多く、興味深い投稿をされているとてもユニークな方です。

 その方が、つい先日、めずらしいお像を入手したと記事にされていました。

 それは江戸時代の素晴らしいお像でした。その仏像は本来的には独尊としてお祀りしない性質の尊格。それが、かなり「小さめ」に、「精巧に」できている特殊なお像でした。

 私は一目見て「これはもしかして?」と余計なことが頭をよぎってしまいます。

 具体的な表記は避けますが我々密教修行者の視点からすると「これは一般の方が手にしない方がいいお像」である可能性が高いと感じました。

 私も相手になるべく不快な思いが伝わらないように、でもそれは小さいけど一般の方が手にするような「念持仏ではない」ということを伝えたく、一言「それは念持仏ではなく特殊な祈願目的で作られたお像じゃないでしょうか?」と、さり気なくコメントしました。

 しかし、このコメントをしてから「これを伝える必要はあったのか?」ということに悩みました。密教行者ではなく、仏像コレクターとして、このような「祈願」に関する話を知らなければ、「美術品として」手元に置いてるだけなら気にする必要がないのかもしれません。

 親切心とはいえ余計な情報を敢えて伝える必要があったのか?

 幸いにも相手の方は特に気にされることなく、ご自身の経験から「これは一般信者の礼拝用の念持仏だと思います」とご返信いただけたので余計なネガティブな情報が相手に伝わっていなかったことにホッとしました。

 私の「正義」のつもりが、下手をすれば不快になるどころか相手に不安を抱かせた可能性が大いにあった一言。

 時と場合が変われは(例えば自分の信者さんなら)「見て見ぬふりはできない」ということにもなりますが、今回は違います。

 知り合いに対して「どこまで関与するか」という問題も改めて考えさせられました……

 

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