私の好きなアーティストに、シンガーソングライターの「KOKIA」がいます。
前の記事で「神曲」として「あはがり」を紹介しましたが、このKOKIAというアーティストも、まるで「この人シャーマン?」と思わせるような楽曲を歌うことがあります。
例えばこの曲とか。
後半(2:00くらいから)のなんとも怪しげな?神々しさがどことなく「卑弥呼」を彷彿とさせます。古代、こんな感じで歌われたら、その姿に神を感じたであろうと想像するに足る説得力です。
さて「卑弥呼」の話題が出たので、少しその卑弥呼の話をしてみましょう(強引)
私がKOKIAの曲を聞いて、卑弥呼をイメージしたのはなぜでしょう?多くの人が持つ卑弥呼に対するイメージはきっと私と同じはずです。
曰く
『卑弥呼は呪術を司る巫女(シャーマン)のような人物であり、邪馬台国は原始的な呪術国家とする見方がある』
では、なぜ卑弥呼はこのようなイメージで語られるのでしょうか?
キーワードは「鬼道」。
魏志倭人伝の以下の記述こそ卑弥呼のシャーマンとしてのイメージを広く知らしめた根拠と言えます。
『其國本亦以男子為王 住七八十年 倭國亂 相攻伐歴年 乃共立一女子為王 名曰卑彌呼 事鬼道 能惑衆 年已長大 無夫婿 有男弟佐治國 自為王以來 少有見者 以婢千人自侍 唯有男子一人給飲食 傳辭出入 居處宮室樓觀 城柵嚴設 常有人持兵守衛』
赤字で記した「鬼道」を「呪術」と解釈をすることで上記のようなイメージが生まれた訳です。
ただ何といってもこれだけ古くて、この少ない記述だけでは確固たる正解を出すのは現実的には難しいですよね。
だから……
『鬼道』という単語にはいろいろな解釈がされているのはよく聞くところ。ウィキペディアに分かりやすくまとまっていたので。幾つかピックアップしてみましょう……
その一
卑弥呼はシャーマンであり、男子の政治を卑弥呼が霊媒者として助ける形態とする説(井上光貞『日本の歴史』〈1〉 中公文庫 2005年等)
これは上記した最も広く認知されている説ですね。でもここでは女王として政治を執り行っていたのではなく、あくまで霊媒者として存在したという解釈ですね
その二
『魏志』張魯伝、『蜀志』劉焉伝に五斗米道の張魯と「鬼道」についての記述があり、卑弥呼の鬼道も道教と関係があるとする説(重松明久『邪馬台国の研究』 白陵社 1969年等)
卑弥呼の鬼道は後漢時代の初期道教と関係があるとする説(黒岩重吾『鬼道の女王 卑弥呼』 文藝春秋 1999年等)
なんと道教とな。確かに身近な話題としては修験道開祖の役行者が「仙人の姿」をしているから道教との関係が語られることが多くありますから、すくなくとも断片的にかなり早い段階で道教は日本に入ってきていた可能性はあるのでしょう。ただ……果たして卑弥呼が?というのはちょっと個人的にはイメージがわかないですね。道教が日本に入ってきたか否か、という話題は調べてみると確かに議論が分かれるようです。私は門外漢なので得意のウィキペディアの引用にとどめます。
『各地で発掘されている三角縁神獣鏡や道教的呪術文様から、4世紀には流入していたと見られている。6世紀には百済からの仏教に伴い「呪禁師」「遁甲方術」がもたらされ、斉明天皇から天武天皇の治世にかけては、その呪力に期待が寄せられて、支配者層における方術の修得や施設建設も見えている。それに伴う神仙思想も、支配者層において教養的知識レベルに留まらず実践に至るまでの浸透を見た。これらは民衆社会にも流布しており、『日本書紀』『風土記』『万葉集』に見える浦嶋子伝説、羽衣伝説等などの神仙伝説にその痕跡を遺している。だがそれらは担い手組織の核となる道教経典・道士・道観の導入を伴っておらず、体系的な移植には至らず、断片的な知識や俗信仰の受容に留まった。そして天武朝以降、道教の組織的将来の道が政治的に閉ざされると、そうした知識や俗信仰が帯びていた体系的道教思想の痕跡も希薄になっていく』
『陰陽道:道教の廃止と共に、それに代わって、陰陽師が道術の要素を取り入れ、日本独自の陰陽道が生まれた。陰陽師としては、平安時代の安倍晴明などが有名である』
その三
神道であるとする説。神道の起源はとても古く、日本の風土や日本人の生活習慣に基づき、自然に生じた神観念であることから、縄文時代を起点に弥生時代から古墳時代にかけてその原型が形成されたと考えられている。大島宏之 『この一冊で「宗教」がわかる!』 三笠書房
これはある意味、神道にも呪術的な側面があったとするなら「その一」の説と併せて説得力のある説かもしれませんね。
その他
「鬼道」についてシャーマニズム的な呪術という解釈以外に、当時の中国の文献では儒教にそぐわない体制を「鬼道」と表現している用法があることから、呪術ではなく、単に儒教的価値観にそぐわない政治体制であることを意味するという解釈がある
魏志倭人伝があくまで、中国側の書物ということを考えると当時の日本の宗教を詳細に把握していた訳ではなく、「なんか見慣れてないことやってるぞ?」くらいの認識だった可能性もあるように思います……めっちゃ素人考えですが(笑)
でも最後の説はきっとそう言ったことを言ってるのでしょうね。「我等中国とは違う怪しげな宗教よ!」的な。
まあ、いずれにしても個人的にはこのような「歴史的事実」という切り口とは別に「歴史の中でどう語られ」「どう信じられて」そして「どう信仰されてきたのか」ということに興味があります。つまり、一つの集合無意識として日本人の深い部分に「力」として存在しているであろうという可能性です。これは心理学の領域にもなりますね。
だから冒頭で紹介したようなKOKIAの映像をみると「なんか神々しさ」を感じ、それが「卑弥呼だ」とついイメージしてしまう私が確かにいるという事実。そしてきっと多くの日本人がそう感じるなら……
それはそれで一つの「事実」であると私は考えています。
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