准胝院のブログ

八王子市で准胝仏母を本尊とする天台寺門宗祈願寺院「准胝院」のブログです。准胝仏母祈願、不動明王祈願、人型加持(当病平癒)、先祖供養(光明供)、願いを叶える祈願(多羅菩薩)、荼枳尼天尊(稲荷)の増益祈願等

猫に学ぶ「よい環境となれ」という話

同い歳の二人。白猫の「みいこ」と、三毛猫の「檸檬

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「きっと檸檬の方がストレス多くて早死にしちゃうよね」

 この子達の行動を見ていて、よくかみさんがそんなことを言う。

 「檸檬はストレスが多いから」

 檸檬は未だに「抱っこ」をさせてくれません。むりに捕まえでもしたらダッシュで逃げてから距離をおいて「シャーッ!」と威嚇の声を上げるに違いありません。

 野生なら檸檬のこの行動は大正解。野性味を残した、たくましい子だ。

 でも、飼い猫にあってはこれでは明らかにストレスが多くて「生きにく」と思う。

 生まれつきの性格なのか、幼猫時に怖い思いをしたのか……。

 理由はわからない。

 それに比して、みいこは「抱っこ」を拒むことはまずない。また寒い季節は「暖」を求めて自分から腕の中に入ってくることすらあります。

 飼い猫としては「得する性格」なのは間違いなくみいこ。

 つい先日ちょっとびっくりしたことがありました。

 みいこの「抱っこ」で腕が疲れるとよく安座(あぐら)をしている両足の上にみいこを置くのですが、それでもみいこは足の間にすっぽり納まって逃げる気配を見せません。そんな時、私はスマホをいじったり、本を読んだり、お茶を飲んでいたりと作業をするのでうっかり「肘」がみいこの「頭」に「トンッ」とぶつかってしまったことがありました。

 万が一、これが檸檬だったら激怒間違いなしです(まあ抱っこさせてくれないのでこのシチュエーションは起こり得ませんが……)


 すると、みいこは「何事だ!?」とびっくりして「キョロキョロ」を首を回すのですが、最後まで「私がやった」とは思わないんですね。だから私の足の間からは逃げようとしない。

 「まさか人間が私を攻撃するはずがない」

 きっとそう思っているのだと思いました。驚きの信頼ですね(笑)

 もしかするとみいこには「攻撃される」という概念そのものがないのかもしれません。だとすれば野生では絶対生きていけないですね(笑)

 ……しかし攻撃されることを知らないって幸せかも、とも思いました。


 檸檬はみいこのような「楽に生きられる」性格に変わることはできるのでしょうか?

 動物には「自我はない」と言われますから、自分でそれに気づいて「性格を変えよう」なんてむろんできやしませんね。

 だとすれば、檸檬が生きやすい人生を歩むための最後の砦はやっぱり「人間」なのだと思う。

 飼い主である私が、かみさんが「人間は怖くないんだ」という経験をしつこく、しつこく条件付けしてあげるしかない。

 みいこのように「まさか人間が攻撃するはずがない」というところまでは無理かもしれないけど………

 それでも、たしかに檸檬が我が家に来た当初よりはだいぶ「距離感」は近くなってきている。

 つまり「変われている」という事実は確かにある。

 そんな檸檬を見ると「やっぱ環境は大事だよな」を改めて思う。


 人間さまの世界でも、時に「環境のせいにするな」「自分が変われ」「置かれた場所で咲きなさい」と叱咤激励することがある。

 確かに前向きに生きていくパワーのある人にはとても力になる言葉かもしれない。事実、それで勇気づけられる人もいるでしょう。

 でも「それでは生ききれない」人もいる。

 「檸檬」への関わり方を模索するに、やっぱり「人間」は「環境」として「外部」からしか関わりようがないことを思い知る。

 そして、これは何も「猫」ばかりではないと思った。人が人に接するときそれは「外部」の「環境」としてでしかない。でも逆にまた私たちが「外部」から「環境になって」人を救える事実もまたあるのだということ。檸檬ですら成長を見せてくれるのですから。

 諦めずに「よい環境」になることで救えることもある。

 また猫に教えられた(笑)

★みいこの前では唯一リラックスできる檸檬

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