私は過去の記事で「ユング心理学」の影響を受けていることを公言していましたが、今日はそのユング心理学で重要な概念である「アーキタイプ」の話をしようと思います。
……と言っても「堅苦しい」話は一切なしで、ただのアニメ解説記事だったりもしますので気楽に読んでください。
少年時代にそのアニメを見た後、放心状態になってしらばくは「抜け殻」になってしまうほどに心を「ごっそり」持っていかれたアニメ作品がある。
この作品はまさにリアルタイムで経験しているのですが、劇場で見たのが小学生6年の時でした。
曰く劇場版「銀河鉄道999」と続編の「さよなら銀河鉄道999」です。
先にその「感動(というよりはトラウマ?)」を共有してもらうためにいくつか動画をリンクしておきます。
銀河鉄道999のラストシーン
当時はまさに主人公の「鉄郎」と自分を重ね合わせていた訳で、こんなラストもうトラウマになりますよ(笑)
二年後のさよなら銀河鉄道999のメーテルとの再会シーン
アニメ史上もっとも「美しい」と評されるシーンですね。
今見てもヤバいですね(笑)
少年時代になぜこれだけ「心をもっていかれたのか?」ということについては月並みだけどメーテルがユングのいう「グレートマザー」「アニマ」という「アーキタイプ」の属性を大いに含有していたからだと想像します。
実は「メーテルはアニマだ」という主張をする論説は結構多く見かけますので、そんなことを書いている人は少年時代にきっと私と同じような経験をしたひとだと思います!?(笑)
この一連のYOUTUBEの動画に寄せられているコメントを見ても、私と同じような経験をした「おっさん」のコメントばかりで笑えました。
コメント引用
・小学生の時映画館で観て未だに心持っていかれ涙する48歳です(笑)
・50歳過ぎだけど、今でもメーテルさん探している自分いる、
おそらくこの先も出逢えないだろうけど、映画の中だけでもメーテル逢えたのが幸せなんだろと思える自分がいる
・この別れのシーンは最高ですね。そしてわたしの理想の女性像であります。
・鉄郎と一緒に俺も泣いたよ・・・
・全てが凄い。憧れの女性との大人のキス。発車時の時計の映し方。
笛の入るタイミング。クラシカルで悲しくも希望が感じられるBGM。
髪をくしあげる3回のリピート。車掌さんの描写。城達也のナレーション。
999が行き去った後の枯葉の描写。
・オンタイムで見た時からもう35年、40年経っただろうか……
・私もイイ歳したオッサンだが、未だにメーテルは憧れの女性である
そしてこれからも、多分、一生……メーテルへの恋心
そして映画館で哲郎と一緒に失恋したあの日を思い出しました。
叶わぬ恋があるって、あの時初めて知りました。
恋人でなくてもいいからずっとそばに居て欲しい人ですよね
メーテルにもう一度逢いたい
せめて遠くから見ているだけでも・・・
・小学生の頃、メーテルと鉄郎のキスシーンを見た時は衝撃だった。
何なんだこの感情はみたいな。今思えばそれが初恋だったのかな。
そして、今でもメーテルは俺にとって一番美しくて憧れの存在です。
まさに青春の幻影。これからも、永遠の時を旅していくのだろう。
さて、グレートマザーやアニマといったアーキタイプは無意識でも「深い層」にある心のイメージ群です。
だからこそこの「メーテル」という「アニマ」は、私やコメントされた方々の自我が未発達だった少年時代の心を「ごっそり」と持っていくほどのインパクトがあったのだと想像します。
私は最近のアニメも比較的見る方ですが、今のアニメで、ここまで心を「もっていかれる」ような作品はなかなかないだろうな、と思います。
それぐらい「銀河鉄道999」はとんでもない作品だったと、いまになって思います。
むかし私の仏像の「好み」について、ある人から「アニマっぽい仏さまが好きですね」と指摘されたことがある。その時は「まさか未だに無意識にメーテルの影をおっかているんじゃないのか?」と自問してギクリとして記憶がある(笑)
でも少年時代にあれだけ「心を引っこ抜かれた」経験もある訳だし、そこにアーキタイプが影響しているなら可能性はゼロではないのかも!?
だとすれば、たががアニメ、されどアニメですね(^^)
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