前の記事で心理学者の「ユング」が好んで話したという「レインメーカ(雨乞い師)」の話題を記事にしたことがあった。
この雨乞い師は「雨を降らそう」ということはせずただ自分の「タオを整える」ことで、それが周りに影響を及ぼし雨乞い師の周りの世界も「整った」ことで「旱(ひでり)」という不調が去り自然に雨が降った……おそらくそんな趣旨の話だと思う。
私がユング好きだからという理由を置いておいても割とこの話が好きで、自身の仏教の修行でも意識している。
私の場合は「タオイスト」ではないので「タオをと整える」ことが何なのかは知る由もない。またそんなに難しく考える必要もないだろうとも思っている。あくまで私自身の問題にするので。
私の中では、これを「毎日の密教の行を通じて、自身が整った状態をキープする。さすれば何も悪いことは起きない」と解釈し、そして実践することにしている。
私はこれでも行者の端くれなので、「密教の行をすることで」ということを中心に置くべきだから、「タオ」でないが、私はこれでいいと自分で納得している。これが普通の信者さんなら「決められた勤行をすること」になるのでしょうか(少し前の私はまさにこうでした)。
つくづく「日常」が大事だよな、と思う。だって日常は「一過性に頑張って」ということで手に入れられないから。だから実はすごく「日常続けていること」はパワフルだと思うのだ。
逆に、この「日常」が疎かになって自身が乱れるときっと自分も、周りも悪しきことが起きるのは、むしろ当たり前のような気がする
「そんな思い込みをすることで、悪しきことを呼びこむ理由を作ってしまっているんじゃないの?」なんて声も聞こえてきそうだが、私はそれでいいと思っている。
だって最低限の日常の行が出来ていなければ、そうなるでしょう?と思うから。それすらできずに化他も衆生救済もあったもんでないというぐらいの気概は持っていたい。
毎日コツコツとして行を続けていれば「めったなことは起こらない」という強い自信が日に日についてくる。これは一過性の慢心とは違うと思う。実際、一朝一夕ではそんな自信はつきませんからね。
シンプルに「自分を整える修行」を「日常的に続ける」。簡単なようでとても難しい。
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