本堂に入ると、回向壇の前にかように本が落ちていた。
これを見て、ただ「ああ、片づけなければ」というリアクションではもったいない。
この風景は、明らかに「このページを読め」というメッセージに違いないと解釈する。
もっと言えば「このページをブログで紹介しろ」でもいい。
この本は以前「ショート瞑想」の記事で取り上げた「なまけ者の三分間瞑想法 デイビィッド・ハーブ著(創元社)」だ。もう何度も読んだのでご覧の通りボロボロだ。
開かれていたページを見ると……いくつかのセンテンスに線が引いてある。昔読んだときに「これは重要だ」と思って引いた線なのだろう。
だから今日はその「昔の自分」をリスペクトして?その線を引いた箇所をこのブログで紹介してみることにする。
きっとこれが「本堂に落ちていた本」に対する正しい行動だと思う。
以下、引用
『瞑想とは心を自分でコントロールする技術だ。オカルトでも秘伝の術でも何でもないし、ふつうの日常生活からかけ離れたものではない』
『注意を集中して、しっかり自覚して、心をそこにとどめてすることなら何でも瞑想になる。だからどんな平凡な仕事をしているように見えても、それがいつかはぼくらを悟りの方向へ導いてくれるだろう(皿洗いの悟り?歯磨きの悟り?)』
引用:「なまけ者の三分間瞑想法 デイビィッド・ハーブ著(創元社)
そして、私はこの引用を読んで、先日も記事にした通り忙しさにかまけて、日常の瞑想の頻度が落ちていたことに「気づく」のだった……
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