准胝院のブログ

八王子市で准胝仏母を本尊とする天台寺門宗祈願寺院「准胝院」のブログです。准胝仏母祈願、不動明王祈願、人型加持(当病平癒)、先祖供養(光明供)、願いを叶える祈願(多羅菩薩)、荼枳尼天尊(稲荷)の増益祈願等

気立てのいい人になる 戒の話

「在家信者の正しい信仰とは?」

 熱心な信者さまから、お手紙でそんなご質問を頂いた。

 その質問には「戒」について悩まれている、一文が記されていた。

 御質問者曰く

「蚊をつぶす」「肉を食べる」「料理にお酒を使う」などを避けるのは難しい。

 まず申し上げたい事。

 この方は「信仰が篤いな」と思いました。

 このように「悩む」ということは「それを日常、意識できている」からこそ、だと思います。

 平素、それすら感じていない人も、多くいませんか?

 私が信者さんにお配りしている准胝仏母の在家用礼拝要典には、私が信者時代に師僧から指導され、また読経時にも毎日お唱えした「五戒」を記している。

曰く

不殺生(命あるものを慈しみ大切にする)
不偸盗(盗みや貪りをしない)
不邪淫(不倫関係を持たない)
不妄語(正直を旨とする)
不邪見(善因善果、悪因悪果の道理を信ずる)

※五戒は通常、最後は「不飲酒戒」を上げるが、一門では「不邪見」としている。

 私は在家信者時代は()の中の文言も併せてお唱えして、心に熏習するよう努めた。

 信者の方々にもそれを勧めています。

 上述の「五戒」……つまり、たった五行の文字列を「覚える」ことは誰でもできるし、また頭で理解することもそう難しいことではないと思う。

 ただ、それを「実践する」となると途端にハードルが上がる。

 よく言う「知っている」と「出来る」では話が違うのだ。

 私はこのブログでも何度も記していることがある。

「日常を大切する」ということ。

 ならばやるべきことは、むろんそれを「日常に落とし込む」という作業です。

 そのための第一歩は「毎日お唱えする」ことで無意識(阿頼耶識)にその言葉、意味をしつこいくらいにしみこませること。

 それを大前提として話を進めてみます。

 「五戒」に限らず「戒律」ということを「勉強する」となると、実は簡単ではない。興味ある方は色々お調べになるといいと思いますが、ウィキペディアを見るだけでもその知識量としては膨大であり、仮に日本においても時代、宗派によって様々な解釈があるのがわかる。

 ただ在家信者さんは「勉強する」よりも(もちろん勉強するのはいい事だと思いますが)、「実践する」事が最大の目的なので、もっと簡単な指針がほしいということはさもありなんです。

 

 「戒律」という言葉があります。このうち「律」はは罰則規定。では「戒」は?

 これの本来の意味は「自ら順守すべき項目」と説明されます。

 私の好きな「戒」の解釈に、仏教学者の「正木晃」先生が唱えた「戒の本来の意味は気立ての良い人になれ」というのがある。言語格的には本来そうらしい。

「それでは、なんか緩いのではないか?」

という印象を持たれた方もいると思います。そうだろうか?

「気立ての良い人」

 言うは易し。

 でも本当に「どんな場面でも」気立ての良い人に簡単になれますか?

 ブッダのいた時代。戒をまもる本来の目的は「悟り」を得ることでした。そのために「まずは気立ての良い生活をする」ことを目標とした、というのは私はとてもしっくりきました。

 くどい様ですが「戒」は、例えば一神教の神々がいう(例えばモーゼの十戒のように)上から強制力を持って行ってくるのではなくて「自主的に守ってくもの」です。

 「自主的に」というのは、あらゆる生活の場面で「あ、守らなければ」という意識が生まれます。これが大事だと思うのです。

 特に注意したいのは、たただた強制的に「守れ」といわれて盲目的にただただ守るというパターン。これ、ただたの思考停止です。

 だから冒頭でお話ししたように「常に意識する」という習慣のために毎日の読誦が必要になり、さらには「その場面、場面で考える」ということが「修行になる」とも言えます。

 

 例えばご質問にあった「不殺生」を考えてみましょう。

 「蚊は殺してはいけないのか?肉は食べてはいけないのか?」という問題。

 理屈を言えば、この世で人間の命を一番奪っているのは「蚊」と言われます。その数、年間72万5千人の命を奪っていると言われます。この数は2位の人間の47万5千人、蛇の5万人を大幅に引き離しての1位だそうです。ならば、自分の身を護るために蚊を殺すことも当然、必要でしょう。

 また、具合が悪くくなれば必ずお世話になる薬。

 薬は基本全て「動物実験」によって、ラット、マウス、犬などの動物が犠牲になっています。私は職業柄、それらの実験に立ち会ったこともあります。だからといって「不殺生戒」を守るために薬止めますか?という議論はナンセンスです。

 本質は「そこ」ではないでしょう。

 私が「ダメ」と言ったら盲目的に従ってしまったらそれは「自主的」ではなく、ただただ思考停止を生むだけになります。

 だからまず私がお勧めする「態度」としては「気立ての良い人になる」というイメージをベースに、不殺生戒なら「避けられる殺生は避ける」「動物に慈しむ」「虫、小動物の助けてあげられる命は助けてあげる」などを「日常実践する」ということだと思います。

 まとめると「戒」はあくまで「自主的に遂行する」ということ。その具体的な内容は最後は場面場面で自分で考えて「日常実践する必要がある」ということ。決して「思考停止」しないこと(あくまで修行ですから)。

 そして戒を日常意識するために毎日の読誦を怠らないこと。

 

 「気立ての良い人」……きっとそんな人が神仏に愛されるのだと思います。

 

★ご相談はこちらから★

准胝仏母の道場について

本尊祈願申し込みフォーム

不動明王祈願フォーム

ご先祖供養(回向)・家族敬愛祈願フォーム

人型加持 申し込みフォーム

信徒会員申し込みフォーム

e-mail

JYUNTEIIN@gmail.com

 

記事が面白かったら

クリック↓お願いします!

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へ
にほんブログ村