つい先日、「私はいま瞑想をしている瞑想」というのを思いつきました。
ネーミングセンスはいまいちですが……日常的に瞑想をするための抜群のアイデアと自負しています!?
瞑想状態と瞑想でない状態の最大の違いはなんでしょうか?
これは人によって定義は変わってくると思いますが、私は「瞑想している」という気づきがあるかどうか?だと思っています。
よく意識レベルが下がって、難しい用語を使うならば「変性意識状態」になることが条件のように思っている人も多いと思います。
しかし、私はこれには落とし穴があると思っていて意識レベルがただ下がるならば、眠りに向かう「うたたね」だってある意味「変性意識状態」です。「うたたね」をわざわざ目指す必要はないですよね?毎日しているんだから(笑)
だからたとえ変性意識状態でも「自分=私」を保っていること、この文脈では「瞑想に気付いていること」が一つのポイントと思っています。
仏教では「自分=我」を否定するからそれはおかしいだろう?との意見もあると思いますが、それはもっともっと先の話。
私が瞑想をを促す理由はもちろん、神仏と繋がるために上述した変性意識状態なにることもありますが、それよりもまずはやるべきことは日常に瞑想を持ち込むこと=常に自分を保つことです。
だから、まず先にやるべきは「感情」や「思考」といった雑念に「自分」が捕らわれてしまっている状態を回避すること。例えば「感情」にとらわれると「自分」と「感情」が一緒になり(同一化すると呼びます)、我を忘れて感情の赴くままに行動してしまいます。この時重要なのは「感情的になっている自分」に「観察できる自分」を出現させることです。この「観察できる自分」が登場した瞬間に「自分」と「感情」の同一化は解消されます。そうすると感情イコール行動ということも回避できるという理屈です。
この「観察する自分」をもっとも端的に分かりやすく自分で確認する言葉が「あ、私はいま瞑想している」という自覚です。この言葉が思い浮かんだ瞬間に「感情」と「思考」は分離される。それがほんの一瞬でもそれは立派な瞑想、と思うようにする。
そうすれば、わざわざ時間をとって座禅をしなくとも、日常生活の中で何度でも瞑想をすることができる訳です。むしろ「感情」や「思考」と言った雑念にあふれた日常での瞑想は、ある意味、もっとも過酷な環境での訓練と言えるわけで、故に価値も高いと考えます。
もちろん時間をとって瞑想をするのは理想的ですが、我々はそれを日常でどう応用するかという部分は忘れるべきではないと思います。
だから、思い出したら「今、瞑想している」と一言心の中で思いましょう。一日一度でもこれを思い浮かべることが出来ればめっけものです。
ようはたとえわずかでも継続すること。継続するための工夫はとにかくいつでもどこでもそして短時間でもです。
さて、皆さんも「今」やりましょう。
「私は、瞑想している」
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