『「ちゅうじょうひめ」の「たいままんだら」が見たい』
かみさんにそう言われた私は恥ずかしながら「???」とはてなマークが頭に並んだ。
「ちゅうじょうひめ」を知らないのは、まだいい。
問題は「たいままんだら」の方だ。
仏教徒、しかも密教を学ぶものにとって「まんだら」と名のつくワードが分からないことに内心焦った。
「え?知らないの?」
かみさんにそう詰め寄られて目が泳いでしまった(汗)
なんだ、その曼荼羅は?聞いたことないぞ?別尊曼荼羅にそんなのがあるのか?第一どういう字なんだ?「たいま」は「大魔」か?いやいやそんな訳なかろう。そうか!「対魔」か?「魔に対抗するための曼荼羅?」……そんな想像が頭を駆け巡ったが……どれも「間違っていて(当たり前か)」『当麻曼荼羅』もしくは『當麻曼荼羅』と書くのが正解ということに恥ずかしながら何とか辿り着いた。
そもそも私の勧めで仏教徒になったとはいえ、積極的に仏教の勉強をしている訳ではないかみさんが「曼荼羅」に興味を示したこと自体が私にとっては意外だった。
ただよくよく話を聞いてみると、かみさんは「その曼荼羅」の宗教的な意味に興味がある訳ではなく、この「当麻曼荼羅」とほぼセットで語られる「中将姫」に興味があったらしいのだ。
前回の記事で「中将姫」所縁の葛城地方にある「當麻寺」のことに触れた。
私も葛城修験の修行で、「當麻寺」とごくごく近所にある二上山には訪れていたのですがこの「當麻寺」については全くのノーマークでした。
前回の記事同様に「中将姫」の伝説についてはウィキペディアを参考にして頂くとして……
この記事では冒頭で話題にした「当麻曼荼羅」について、今回少し調べたことを皆さまとシェアしたいと思います。
まず最初にはっきりさせていただかなければならないことは、この「当麻曼荼羅」は厳密な意味での曼荼羅ではなく「俗称」であるということ。
『当麻曼荼(陀)羅(たいま まんだら)とは、奈良の當麻寺に伝わる中将姫伝説のある蓮糸曼荼羅と言われる根本曼荼羅の図像に基づいて作られた浄土曼荼羅の総称である。曼荼羅という用語を用いているが、密教の胎蔵界・金剛界の両界曼荼羅とは無関係である。浄土曼荼羅という呼称は密教の図像名を借りた俗称であり、正式には浄土変相図である。(引用:ウィキペディア)』
「曼荼羅」ではく「変相図」「変図」というのが正しいということですね。
この説明を聞くと、うっすら自分の中にある記憶と繋がっていきます。かなり前にとても好きなお像があって……なんて言うと「またそのパターンかよ!!」と突っ込まれそうですが!?まあ、聞いてください……。
その好きなお像とはこれのことです。
仏教の修行を始める前の話なので、私も今ほどの知識を持ち合わせていません。このお像の紹介があるスピリチャル系のブログで「弁才天」として紹介されていました。
確かに「琵琶」を持っているので、当時の私も「弁才天」と信じていましたが……
その後、色々調べるうちにこのお方は弁才天ではなく、「反弾琵琶天女」という「天女」であることを知ります。調べる過程で、この「反弾琵琶天女」は世界遺産「莫高窟」のイメージキャラとも言える存在であることを知ります。
そしてこの「反弾琵琶天女」の描かれている上述の「莫高窟」の壁画が「観無量寿経変図」です。おっと出てきましたね「変図」という文字が。
さて当麻曼荼羅に戻りましょう。「当麻曼荼羅」の説明にはこうあります。
『(当麻曼荼羅は)本図が浄土三部経の『観無量寿経』で説かれる内容を忠実に描いている』
昔、「反弾琵琶天女」を調べるうちにこの「観無量寿経変図」を何度も見てたのにすっかり失念していました。
(当日、ここまでざっとスマホで調べて、かみさんに説明してなんとか仏教徒の先輩として面目躍如とあいなりました……)
さて、中将姫について仏教徒としてもうひとつだけ触れておきたいのは、中将姫が『称讃浄土経一千巻を書写された』という話です。
一千巻の写経ですよ?ものすごい信心です……かりに短い般若心経ですら簡単にできるものではありません。
では『称讃浄土経』って聞いたことありますか?仏教徒でもあまり耳にしないお経のような気がします。ただ実はこのお経、我々に結構馴染みのあるお経の「異名」なんです。
そのお経が「仏説阿弥陀経」です。これは知ってますよね。
日本で有名なお経の訳者は言わずもがな「玄奘(例えば般若心経)」か「鳩摩羅什(例えば法華経)」のどちらかですが、「仏説阿弥陀経」は鳩摩羅什訳です。
そして同経の「玄奘訳」が上述の『称讃浄土経』。なるほどですね(知ったように書いてますが、私も今回調べて知りました(^^;)
『称讃浄土経』、正式名は『称讃浄土仏摂受経』。念のためウィキペディアの『仏説阿弥陀経』の説明内にあった『称讃浄土仏摂受経』の項目のみ以下に引用しておきます。中々興味深い内容になっています(阿弥陀経を読誦されている方にはおススメ))
(以下引用)
・『称讃浄土仏摂受経(しょうさんじょうどぶっしょうじゅきょう)』1巻 唐の玄奘(げんじょう)訳(650年訳出)。
・『大正蔵』 第12巻 P348~P351。
・鳩摩羅什訳「阿弥陀経」と比べて詳細な記述となっている。例をあげれば阿弥陀経では単に「有七寶池 八功德水」とある部分は、いちいち「七寶」や「八功德水」が何かを名を挙げて説明している。また、多くの諸仏が阿弥陀仏の説くことを信じるように薦める部分は、「阿弥陀経」は東・南・西・北・下・上の六方の世界の諸仏が登場するが、「称讃浄土仏摂受経」ではこれらに加えて東南・西南・西北・東北の世界の仏も登場し、合わせて十方世界となっている。ただし追加された世界に登場する仏は一人ずつである。
・また「若諸有情 生彼土者 皆不退転 必不復堕 諸険悪趣 辺地下賎 蔑戻車中」という部分が追加されている。「もし諸々の生きるものがその国土に生まれたなら、皆が不退転となり、絶対に畜生・餓鬼・地獄道にも「辺地(「へんじ」と読み、極楽の存在に疑いを持つものが生まれるという完全ではない浄土。極楽浄土の外れにあるとされることからこの名がある。)」にも「下賎」にも「蔑戻車」の中にも堕ちることはない」ということであるが、「下賎」は下層カーストに由来し、「蔑戻車」とは「ムレーッチャ」(梵: mleccha)のことで古代インドにおける異民族の蔑称である。
・これらの改変や差別的な思想は玄奘が勝手に変えたわけではなく、サンスクリット原典が時代が下るもともに変化したものと考えられる。すなわち玄奘がインドに到達した頃は、ヒンドゥー教を重要視したグプタ朝成立以降のヒンドゥー教の興隆に伴うインド仏教の衰退期で、ヒンドゥー的な考えが仏教教典に加えられていたと考えられる。
なお「辺地下賎 蔑戻車中」の部分は「辺境に住む卑しい異民族」とする説もあるが、「蔑戻車」だけでも蔑称であるため、それに加えて更に「下賎」という形容詞を付けるのかどうかという疑問もある。しかし、称讃浄土仏摂受経の原テキストとなったサンスクリット原典が発見されていないため、どちらの訳が正しいのかは、そもそも異民族に対する差別的な思想はサンスクリット原典由来なのかという点も含めて不明である。
(引用終わり)
最後に……
今回、私として少し嬉しかったのは、かみさんはもともと私の勧めで仏教徒になったとはいえ、あまり自主的に「信仰」へのアクションを起こすことは有りませんでした。
それがこの當麻寺の売店で売っていた「当麻曼荼羅」のポスターを自主的に買って、「自分の部屋に額に入れて飾るんだ」といって喜んでいます。
(↓1000円で買えます!!)
もともとは「悲劇の姫君マニア」なところからスタートしているとはいえ、当時の時代を反映し、強い信心のあった中将姫のご縁によって信仰に少し深く入っていけたのはとてもいい事だと思いました。
中将姫さま……ありがとうございました。
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