「根拠のある信頼」と「根拠のない信頼」
どちらが強いでしょう?
先日もこのブログで取り上げた「我が家でマイブーム」となっているアニメ「赤毛のアン」をみて「根拠のない信頼」がより強いと感じるエピソードがあった。
ご存知の方も多いと思いますが、赤毛のアンの主人公「アン・シャーリー」は後半、とても優秀な学力を発揮して地元の学校でも常にトップ、そして名門校の試験でもトップ合格を果たします。
そんな優秀なアンは「コンサートで詩の朗読をすることになりプレッシャーで押しつぶされそう」になったり、「試験で上位合格できないのでは」と不安になったり「大学への奨学生として選ばれるか」と思い悩んだり……そんなシーンが多く登場します。
「どれほど優秀か」を「リアル」に分かっている友人たちはいつも「心配ない」と励まします。これは「根拠のある信頼」ですね。アンの実力をいつも目の当たりにしていますから。
ただアンはいつも友人の励ましでは、なかなか心を落ち着けることができません。そしてアンを不安から解消するのはいつも育ての親であるマシュー・カスバートという人見知りで、無口な老人のこの言葉でした。
「わしのアンが誰にも負けるはずがない」「わしのアンができないはずがない」
マシューはおそらく学校もでておらず?アンの成績のことなんか正直よく分かっていません。つまりマシューの言葉はいつも「根拠がない」のです。
周りから(特に妹のマリラから)は「何も分からないで勝手なこと言いなさんな」と窘められますが、マシューは決して論を曲げません。
普段は無口で自己主張を全くしないマシューなのに、アンのことになると、いついかなる時でも「わしのアンが負けるはずがない」の一念で全ての反対意見を受け付けないという頑固さを見せます。
結局、アンは常に友人ではなくマシューの言葉を思い出すことで不安に打ち勝っていきます。友人たちの「根拠ある信頼」ではなくてマシューの「根拠のない信頼」の方にこそ力があったというエピソードです。
私は普段無口なマシューが執拗に「わしのアンが負けるはずがない」と食い下がるシーンに涙がでました。全幅の信頼とはこういうものかと思い知らされました。
また、実は「信仰」「信じる」も実は同じなのではと考えさせられました。
「根拠がある信頼」は「根拠がある」のだから信頼というよりは「予想」に近いんですよね。
しかし、そこに根拠がなければ……全幅の信頼をするなんて簡単にできることでありません。だからそれができた時、人の心を動かすことができるのだと思い知りました。また、きっと神仏への「信頼」もこれに近しいものに違いないとも思いました。
「赤毛のアン」……この作品が全世界で愛させる理由を、今日は涙しながら実感することになりました。
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