今回は「マニアック」記事です。
先日より何回か話題にした「尊星王菩薩が乗る龍」の造形が「龍らしくない」という話。
少し進展がありました。
この話の発端は、私が所蔵する「尊星王菩薩」の仏画の龍を指して「(我々が通常イメージする)龍らしくない」と言っていた訳ですが、この仏画は三井寺の「尊星王像」という仏画を忠実に再現したものと思われます。
この尊星王菩薩が乗る龍とそっくりな龍が存在しました。
なんと「高松塚古墳」と「キトラ古墳」の四神の壁画です。いや、「そんなのとっくに知っていたよ?」なんて人もいたりするかもしれませんね(汗)
右足と尾の絡み方まで、まるで同じです。
足と尾の絡みは以下のリンクを見てください(こちらはキトラの青龍の再現図です)
また上リンクの再現図では「再現されていない」のですが!?、実際の壁画を見ると前回指摘した「鼻が長い」のまで一致しています。
仏教(インド)の龍と中国の龍では違うものだったのが日本で混淆したというのは周知のことですが、当時(少なくとも鎌倉時代までは)は、四神としての「龍(青龍)」は「高松塚古墳」と「キトラ古墳」の青龍の造形がモデルになって継承されていたことになるのでしょうかね?
ちなみに先日参拝した三室戸寺の尊星王菩薩の仏画は室町時代のものですが、こちらは上述の三井寺所蔵の仏画がほとんど四つ足動物に見えるのに比して龍がより「長く」描かれているので、ナーガ(仏教としての龍=我々が知る龍のイメージ)を意識して描かれているようにも見えます。
(参考リンク↓長く描かれている龍)
さて、以上を踏まえて我々が「知っておくべきこと」となると、尊星王菩薩の龍はもともと「四神」としての「青龍」を強く意識して描かれた龍であること。
ただ、ここで問題になるのがなぜ北極星が尊格化した尊星王が「北の玄武」ではなく「東の青龍」に乗っているのか?とういう問題。
う~む!なぜだろう?
これについては、もう少し深堀する必要がありそうです。
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