これまで、触れてきませんでしたが、実は肩の手術で入院していました。
お陰様で本日、無事退院しました。関係者の方には大変ご心配、ご迷惑おかけしました。
なんで手術?ということですが、以前のブログで「五十肩です」とは言っていましたが、それが想像以上に悪化してしまったからです。
「どれくらい悪化したのか?」
というと、いわゆる「夜間痛(夜中の痛み)」で夜中、中途覚醒を何度もして昼間も眠気が残り仕事に支障が出るレベル。
最終的には昼間も肩を動かさずとも、「のたうち回るほど」の痛みに耐えきれず緊急でペインクリニックでブロック注射を4本打ってもらったりもした。
五十肩にしては「痛すぎる」ので、「何かあるな」とは思っていました。
霊感の強い兄弟弟子からは「それは、……ね、分かるでしょ?」と眉間に皺を寄せながら言われたこともあった。
結果的には、日本でも超有名な肩専門のスーパードクター(名医)と奇跡的なご縁に恵まれて手術の2日後には、あんなに痛かった痛みが嘘のようになくなりました。
さて……
行者と言うのは、例えば他人の病気平癒、身体健康を祈るのに自分が体調悪いってどうよ?と思わる方もいるでしょう。
でも「言い訳」という訳でもなく、身体に難を抱えながら行者をやっている人は、割といるように思う。
例えば、腰が痛い、股関節が痛い、肩が痛い、膝が痛い、内臓が弱い、糖尿病だ、心臓が悪いetc……
私は行者を志望するという話をしたときに、上座の方からは「よりによってなんで行者になんか」と言われた。
そのこころは「何だってわざわざこんなしんどい道を選ぶの?」ということ。
当時はその意味はピンとこなかったが今では痛い程分かる。
「自分の『開けなくてもいい腐敗したごみ箱の蓋』を、自分で開けるようなもの」
行者の修行をそんな風に例えた方もいた。
これは良くいわれるように修行によって業へのアクセスが加速して、一気にその解消への動きが活発になって体調や人生がゴロゴロと崩されていく事を例えている。実際、そんな事をが目の前で自他ともに恐怖を覚えるほどに体験した。
では今回のは肩の必要以上の不調は、上述した修行によるデトックスだったのか?
それもあるかもしれないが、今回はそれ以上の理由があるとも思っている。
それは……
行者の間では時に「受ける」という表現を使う。
化他行、つまり自分ではない他者への祈祷を行った際に、その施主の業を「受けて」行者になんらかの影響が生じてしまう状況のこと。
むろん、そのための結界はするのだが、時に「根を詰めて」祈り過ぎたり、神仏の力でというのを忘れて「自分の力で何とかしよう」という勘違いなどの過ちを起こすと「受けやすい」とも言われれる。
昨年11月より化他行をスタートしたことは、おそらく今回の必要以上の肩の悪化は無関係ではないと思っている。
知らず知らず「私の力でなんとかしてやろう!」なんて誤った過信があったのかもしれない。
このような現象は、一見「相手から受ける」ともとれるが、実はその前に「それを受ける土壌が自身あったから」とも言えるので、化他行を通じて神仏から修行させていただいたと解釈をしなければならない。
ここと間違えると……つまりこの「肩の痛み」がなんでこんなにも起こってしまったのかの意味を自身で考えて自分なりの答を見つけ出さないと同じことを何度も突き付けられる可能性は極めて高い。
つまり「治った!良かった!はい終わり!」にはならない。
それと、実はもう一つこの「肩の痛み」については思い当たる節があります。
それについては、長くなりそうなので次回お話ししようと思います。
今日のところはここまで。
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